Some Might Say
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Some Might Say - Oasis (1995)
1995年4月、Oasisが初めてUKシングルチャート1位に到達した瞬間を刻んだ曲。荒削りなギターの壁、ノエル・ギャラガーが書いた寓話的なリフレイン、そして「言いたいやつには言わせとけ」という諦観と挑発の入り混じった態度――それは、サッチャー以後の英国で「労働者階級の希望」がようやく勝利を手にした象徴だった。Britpop全盛期の幕開けを告げる、汚れたままで戴冠した一曲である。
Hook:壁のようなギターと、玉座への階段
1995年4月24日、ロンドン。Oasisは『Some Might Say』をリリースし、その週のUKチャートで初の1位を獲得した。Blurの『Country House』との伝説的な「Battle of Britpop」が起こるのは、その4ヶ月後である。だがこの曲こそ、両者の対決の土台となる「Oasisが王座に近づいた最初の足音」だった。
聴覚的な第一印象は、ほとんど暴力的な「壁」だ。ノエル・ギャラガーがプロデュースとミックスを主導した結果、ギターのトラックは何重にも重ねられ、リアム・ギャラガーの鼻にかかった荒い声がその上に乗る。これは1960年代のフィル・スペクター的「Wall of Sound」の歪んだ後継であり、同時にThe Stoogesの『Raw Power』を10代で愛聴したノエルの趣味の延長線でもある。緻密ではない。むしろ意図的に粗いのだ。スタジオの空気、アンプのハウリング、ドラムスティックがリムを叩く音までもが、奇跡的に「音楽」として成立している。
そしてサビ。「Some might say...」という呼びかけの後に続く、寓話のような断片の連なり。日照りに祈る言葉、シンクで顔を洗う孤独な男、太陽が出るのを待つ人々。具体的なストーリーは語られない。だが奇妙なことに、これらの断片は集まって「希望」という一つの感情に収斂していく。Oasisの初期のソングライティングが達した、もっとも詩的な瞬間の一つだった。
Background:戴冠式の前夜
『Some Might Say』が録音されたのは、1994年12月から1995年初頭。場所はウェールズの片田舎、モンマスにあるRockfield Studios。The Stone Rosesの『Second Coming』も同じ時期、同じスタジオ群で録音されていた。Britpopの二大バンドが偶然にも同じ場所で次の一手を仕込んでいたのは、英国ロック史の小さなミラクルである。
このシングルは、セカンド・アルバム『(What's the Story) Morning Glory?』からの先行リリースだった。ファースト『Definitely Maybe』(1994) でデビュー当時最速売上のUKアルバムとなったOasisは、すでに「労働者階級の救世主」としてメディアから祭り上げられていた。だが本当の意味で英国大衆の前に「No.1バンド」として姿を現したのは、この曲のチャート1位獲得が決定的だった。
象徴的なのは、この曲のシングル発売週、ドラマーのトニー・マッキャロルが解雇されたことだ。『Some Might Say』はマッキャロルがOasisで叩いた最後のレコードであり、彼はバンドが頂点に立った瞬間に追い出された。後任にはアラン・ホワイトが入り、Oasisは「マンチェスター訛りのまま世界に通用するバンド」へと急速にアップデートされていく。栄光と非情さが同居する、いかにもギャラガー兄弟らしい人事だった。
ノエル・ギャラガーは後年、この曲を「人々に希望を与えるために書いた」とインタビューで語っている。1995年の英国は、長く続いた保守党政権の末期にあり、北部工業地帯の景気は冷え込んでいた。マンチェスター郊外の公営住宅で育った兄弟にとって、「日照りの中で祈る」というイメージは、抽象的な寓話ではなく、自分たちの祖父母世代が共有してきた実感だった。1997年のトニー・ブレア率いる労働党政権誕生(「Cool Britannia」と呼ばれる時代)を予兆する、無意識の政治性がそこにはあった。
Real meaning:諦観でも自嘲でもなく、宣言として
タイトル『Some Might Say』を直訳すれば「言うやつもいるだろう」となる。これは英語の慣用表現として、「人によっては〜と言うかもしれないが、自分はそうは思わない」という、留保つきの主張に使われる。
つまりこの曲は、表面的には「世間はこう言う」という他者の声を引用しながら、実際にはその裏で「だが俺はそうは見ない」という確信を響かせている。歌詞に登場する断片――シンクで顔を洗う男、罪深き者にも救いがあるはずだという確信、太陽はいつか昇るという楽観――は、すべて「世間が見落としているもの」として提示される。
これはノエル・ギャラガーの作詞術の核心でもある。彼は意味の整合性を最優先しない。むしろイメージとサウンド、つまり「rhyme over reason」を選ぶ。批評家からは「歌詞が薄い」と揶揄されることもあるが、それは誤読だ。彼が書いているのは「物語」ではなく「お守り」なのだ。聴き手が自分の人生の局面に当てはめて、勝手に意味を充填できる空白。それが意図的に設計されている。
そしてこの曲のもう一つの隠れた主題は、「兄弟の和解」である。リアムとノエルは、レコーディング中も含めて常に衝突を繰り返してきた。だが『Some Might Say』のリアムのヴォーカルは、奇妙なほど抑制されている。彼は怒鳴っていない。むしろ祈っている。ノエルが書いた言葉を、弟が一度受け止めて吐き出す――兄弟という関係性が音楽の中でいちばん機能した瞬間が、ここにある。後年の解散騒動を知った上で振り返ると、この曲は「ギャラガー兄弟の蜜月の終わりの始まり」を記録した、奇妙にほろ苦いドキュメントでもある。
加えて構造的に興味深いのは、この曲のキーがAメジャーであること。ロックの王道キーであり、ローリング・ストーンズの『Brown Sugar』もこのキーだ。Oasisは意識的に「ロックの歴史の中心線」に自分たちを置こうとしていた。新しさを売りにしない。むしろ「やり尽くされたはずの形式」を最後にもう一度だけ完璧にやってのける――それがBritpopの本質的な戦略だった。
Cultural context:日本での共鳴、その固有の文脈
1995年の日本。1月に阪神・淡路大震災、3月に地下鉄サリン事件。バブル崩壊後の「失われた10年」が始まったとされる年だ。社会は重く沈み込み、ポップカルチャーは出口を探していた。Oasisが初来日したのは1994年9月、まだ『Definitely Maybe』が出たばかりの頃で、会場は東京・恵比寿のリキッドルーム程度の規模だった。
だが『(What's the Story) Morning Glory?』とその先行シングル『Some Might Say』のリリース以降、日本でのOasisの人気は一気に爆発する。1996年には武道館公演が決定。武道館は、ビートルズが1966年に外国人ロックバンドとして初めて立った神聖な舞台であり、Oasisがそこに立つことは「ビートルズの系譜」への正式な接続を意味していた。ノエル自身、武道館を「自分たちの聖地」と呼んだ。日本のリスナーは、ギャラガー兄弟の中に「現代に蘇ったレノン&マッカートニー」を見たがり、そしてバンド側もその役を引き受けた。
東京の文化的記憶において、Oasisと結びつく場所は他にもある。渋谷タワーレコードだ。1995年から1996年、Oasis輸入盤シングルは渋谷タワーの洋楽コーナーで膨大な数のフェイス(陳列スペース)を占有していた。坂本龍一が「タワレコ渋谷店は世界一の音楽店」と語った時代、その店頭でOasisを買うという行為は、単なる消費を超えた「文化的な所属表明」だった。
避暑地の文脈で言えば、軽井沢万平ホテルもまた興味深い参照点である。ジョン・レノンが家族と毎夏滞在し、ピアノを弾いていたあのホテル。Oasisが「日本のビートルズ的存在」として受容された時、その背後には軽井沢に滞在したジョン・レノンという記憶が共鳴していた。日本人の中で「英国のロックレジェンドが日本を愛してくれる」という物語は、レノンの軽井沢から、リアム・ギャラガーの来日記者会見へと、見えない糸でつながっていた。
日本のアーティストの側でも、Oasisへの応答はあった。桑田佳祐は、サザンオールスターズや個人プロジェクトの中で、繰り返し「英国ロックを下敷きにした日本語ポップ」を試みてきた人物だが、1990年代後半の楽曲には明らかにBritpop的な「広がりのあるコーラスとアコースティック・ストラム」の影響が滲んでいる。一方、矢沢永吉は文脈が異なるが、「Some Might Say的態度」――つまり「世間は何とでも言え、俺は俺の道を行く」という労働者階級から成り上がった男のロック哲学――の日本における体現者として、ギャラガー兄弟と精神的に通底している。広島の路上で育ち、横浜でCarolを結成して這い上がった矢沢の物語は、マンチェスターからウェンブリーまで駆け上ったOasisの物語と、奇妙な対称をなす。
つまり日本における『Some Might Say』は、単なる輸入された洋楽ヒットではない。震災と事件の年に「太陽は昇る」と歌った曲が、震災後の日本で受け止められた。武道館という聖地で演奏され、渋谷タワーレコードという文化的祭壇で売られ、軽井沢のジョン・レノンの記憶と接続され、桑田佳祐の音作りに影を落とし、矢沢永吉の労働者階級的態度と共振する――そういう多層的な文化的位置を、この曲は静かに占めている。
Why it resonates today:2026年に響く理由
リリースから30年以上が経った今、『Some Might Say』はなぜ依然として強く響くのか。
第一に、サウンド・テクスチャーの問題。2020年代のポップミュージックは、ストリーミング最適化のためにダイナミックレンジを失い、低域を強調し、ヴォーカルを極端に前に出す傾向にある。その中で、Oasisが志向した「壁のようなギターの中にヴォーカルが埋もれかける」アプローチは、むしろ新鮮に聞こえる。Z世代のリスナーがOasisを「再発見」している現象には、こうした音響的な飢餓感がある。完璧に整音された音楽の海の中で、ノイズと余白を含んだ録音は、人間的に感じられるのだ。
第二に、2024年に発表されたOasisの再結成と2025年のワールドツアー(その熱狂は2026年の今も冷めやらない)が、この曲を「過去のヒット」から「現在進行形のアンセム」へと書き換えた。ヘブンリーで再結成された兄弟は、もはや若くない。だが『Some Might Say』を演奏するとき、彼らは奇妙な若さを取り戻す。歳を重ねたリアムの声で歌われる「太陽は出る」というイメージは、20代の若者が歌ったときとは別種の重みを持つ。生き延びてきた者の希望の歌になるのだ。
第三に、社会的文脈。コロナ禍を経て、AI革命の只中にあり、地政学的緊張が高まる2026年の世界で、「世間は何とでも言うがしかし」という構文は、再び切実な意味を持つ。SNSの集合的なノイズの中で自分の確信を保つこと――それは1995年のサッチャー以後の英国労働者階級が必要としたのと同じ精神の運動である。
そして最後に、この曲は「希望」という言葉を一度も使わずに希望を歌うことに成功している、稀有な作品である。希望を直接歌う曲は世にあふれているが、そのほとんどは「希望」という単語の重力に潰される。『Some Might Say』は、シンクで顔を洗う男や、太陽を待つ人々という具体的な情景の積み重ねによって、抽象を経由せずに希望に到達する。これは詩としての勝利だ。
ノエル・ギャラガーは決して文学的に洗練された詩人ではない。だが彼は、ロックという形式の中で言葉が果たすべき役割を、本能的に理解していた。言葉は意味を運ぶのではなく、メロディーに乗って気分を運ぶ。その気分が、聴き手の人生の中で意味へと結晶する。『Some Might Say』はその仕組みの完璧な実装である。
2026年の今、この曲を再生することは、1995年のマンチェスターに戻ることではない。むしろ、自分自身の人生の中の「日照りの瞬間」と「祈った瞬間」を呼び起こす儀式である。だからこそ、世代を超えて、国境を超えて、この曲は鳴り続ける。
深く楽しむには
🎧 音に浸る
(What's the Story) Morning Glory? (Oasis) 『Some Might Say』を収録した1995年のセカンド・アルバム。Britpopの頂点を刻んだ一枚で、『Wonderwall』『Don't Look Back in Anger』『Champagne Supernova』など、Oasisの代名詞となる曲が並ぶ。アルバム全体の流れの中で聴くと、この曲の位置づけが立体的に見えてくる。 → Search
Definitely Maybe (Oasis) 1994年のデビュー作。『Some Might Say』に至る道筋を知るための必聴盤。『Live Forever』『Rock 'n' Roll Star』など、まだ荒削りで野心だけがむき出しの初期Oasisの躍動が記録されている。 → Search
📚 物語を辿る
Supersonic: The Complete, Authorised and Uncut Interviews (Simon Halfon編) 2016年のドキュメンタリー映画『Supersonic』の元になった、ギャラガー兄弟と関係者への膨大なインタビュー集。『Some Might Say』録音前後の混沌、トニー・マッキャロル解雇の内幕、Rockfield Studiosの空気感が、本人たちの言葉で語られる。 → Search
The Last Party: Britpop, Blair and the Demise of English Rock (John Harris) 1990年代英国ロックと政治の交差を描いた決定的なノンフィクション。Oasis、Blur、Pulpら主要バンドと、トニー・ブレア政権誕生(Cool Britannia)の関係を緻密に追跡している。『Some Might Say』が持っていた無意識の政治性を理解するための一冊。 → Search
🌍 ゆかりの場所
Rockfield Studios (ウェールズ・モンマス) 『Some Might Say』が録音された田舎のレコーディングスタジオ。Queen『Bohemian Rhapsody』、The Stone Roses『Second Coming』もここで生まれた。現在も稼働中で、宿泊型レコーディングの聖地として知られる。英国の田園地帯にあり、訪問はツアー予約制。 → Search
マンチェスター・バーネージ地区 (英国) ノエルとリアムが育った労働者階級の町。バーネージのアシュバーン・アヴェニュー(Oasisの実家があった通り)は、Britpopファンの巡礼地となっている。マンチェスター中心部からトラムでアクセス可能で、市内には「マンチェスター・ミュージック・ツアー」も催行されている。 → Search
🎸 自分でも体験する
Epiphone Riviera ギター ノエル・ギャラガーが90年代に愛用したセミアコースティック・ギター(Gibsonの兄弟ブランド)。『Some Might Say』のジャングリーで分厚いギターサウンドの源泉。Epiphone Rivieraは現行モデルも入手可能で、初心者から中級者まで弾きやすい。 → Search
Oasis Songbook (ギター・タブ譜集) 『Some Might Say』を含むOasisのヒット曲を、ギターのコードとタブ譜で収録した楽譜集。ノエルのコード進行は意外なほどシンプルで、ギター初心者の練習曲としても優秀。家で「壁のようなギター」を再現してみる入り口になる。 → Search
🤖 フォローアップの問い:
- Britpopにおける『Some Might Say』と『Common People』(Pulp)の階級表現の違いは、どこにあるのか?
- ノエル・ギャラガーの「rhyme over reason」(意味より韻)の作詞術は、日本のJ-POP作詞家(松本隆、桑田佳祐ら)とどう比較できるか?
- 1995年の日本社会(震災・サリン事件)が、Oasisの「希望の歌」をどう受容したか、当時の音楽誌の言説を辿るとどう見えるか?