All Along the Watchtower
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All Along the Watchtower - Jimi Hendrix (1968)
ボブ・ディランが2分半の聖書的寓話としてざらりと書きつけた小品を、ジミ・ヘンドリックスはわずか半年後、ロンドンの雨の中で別世界の音響彫刻へと作り変えた。原曲が「予感」だとすれば、ヘンドリックス版は「予感が現実になった瞬間」の音である。1960年代末の終末感、ヴェトナム、公民権、そして翼を持ったギターひとつで、ポピュラー音楽におけるカヴァーの定義を永久に塗り替えた録音。
Hook
1968年、ロンドン西部のオリンピック・スタジオの分厚いドアの向こうで、ひとりのアメリカ人が新譜のテストプレスをターンテーブルに置いた。針が落ちる。流れてきたのは、ボブ・ディランの新作『John Wesley Harding』に収められた、シンプルなアコースティック曲だった。
このアメリカ人、ジミ・ヘンドリックスはそれを聴いた瞬間、何かが自分の中で組み上がるのを感じたという。後年、エンジニアのエディ・クレイマーが語ったところによれば、ヘンドリックスはほとんどその場で「これを録る」と決め、その日の夜にはスタジオへ入っていた。ディランの原曲が世に出てまだ二か月も経っていない頃のことだ。
カヴァーというよりは、解体と再建だった。ディランの寓話的な歌詞構造はそのまま残しながら、ヘンドリックスはその物語を巨大な天候のような音響に置き換えていく。アコースティックギターのざらつきを、ワウペダルを通したストラトキャスターの泣き声に。低い唸るようなディランの声を、空に向かって押し上げられる切迫した詠唱に。3分間の寓話は、終末を待つ見張り塔の上の風景画になった。
ロックの歴史で「オリジナルを超えたカヴァー」という議論が出るとき、ほぼ必ず最初に名前が挙がる楽曲である。ディラン本人がのちに、ヘンドリックス版を聴いて以降、自分のライブでもヘンドリックスのアレンジに沿って演奏するようになったというのは、もはや伝説というより事実として語られている。
Background
1967年は、ヘンドリックスにとって爆発的な一年だった。モントレー・ポップでギターに火を放ち、『Are You Experienced』『Axis: Bold as Love』を立て続けに発表。ロンドンのシーンを駆け抜けながら、彼は次のアルバム『Electric Ladyland』の構想を温めていた。
そして1968年1月、ディランが『John Wesley Harding』をリリースする。前作『Blonde on Blonde』のサイケデリックな饒舌から一転、簡素で乾いた、聖書と西部劇のイメージが交錯する小さなアルバムだった。1966年のオートバイ事故からの隠遁を経たディランの、禁欲的な再起だ。
ヘンドリックスは、ディランへの執着を隠さなかった。インタビューで何度も「彼の言葉は自分にとって特別だ」と語っていた人物である。共通の知人を介してテープを入手し、聴き、即座に動いた。
1968年1月21日、ロンドンのオリンピック・スタジオ。ベースはノエル・レディングではなく、ヘンドリックス自身が弾いたパートも多い。トラフィックのデイヴ・メイスンが12弦アコースティックを、ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズがパーカッション(噂ではピアノとも)を持ち込んだ。レコーディングは難航し、ヘンドリックスは完璧主義の発作に取り憑かれたように、何度もテイクを重ねた。最終的なミックスが完成したのはニューヨークのレコード・プラントで、その時にはもう、彼の頭の中には完成形の音が鳴っていたという。
楽曲はその年の9月、『Electric Ladyland』のA面ラスト近くに収録されてリリースされる。シングルとしても全米20位、英国5位を記録。そして1970年9月、ヘンドリックスがロンドンで27歳の生涯を閉じたとき、この曲は彼の最大のヒットシングルとして残された。
Real meaning (hidden story)
ディランの原曲の歌詞は、聖書「イザヤ書」21章の見張り塔のイメージを下敷きにしている。富豪と道化師、王子と従者、見張りと近づく敵——ふたりの登場人物が交わす謎めいた対話を中心に、終末の予感だけが漂う構造になっている。
文芸評論家クリストファー・リックスはディランの歌詞を分析した著書の中で、この曲を「結末を持たない黙示録」と呼んだ。物語は始まりも終わりも明示されず、ただ「何かが近づいている」という緊張だけが続く。
ヘンドリックスは、この閉じない物語に音響的な「天候」を与えた。冒頭の不穏なコード進行、二度目のヴァースで切り込むスライドギター、そして三度目のソロで噴き上がる、ほとんど自然現象としか言いようのないトーン。曲の構造上、彼はディランの歌詞を一字も変えていない。にもかかわらず、聴後感はまったく別物になっている。
これは音楽学的にも興味深い現象で、研究者の多くが指摘するのは「ヘンドリックスは歌詞の意味ではなく、歌詞の周囲の空気を演奏した」という点だ。寓話が読まれている部屋の窓の外で、嵐が近づいている。ディランは寓話の側に立ち、ヘンドリックスは窓の外の側に立った。
そしてこの「窓の外」は、1968年という年そのものだった。テト攻勢、キング牧師暗殺、ロバート・ケネディ暗殺、パリ五月革命、シカゴ民主党大会の暴動、プラハの春の終焉。ヘンドリックス自身は政治的発言を慎重に避ける人物だったが、彼のギターは違う場所で語っていた。1969年のウッドストックで彼が「The Star-Spangled Banner」をフィードバックの嵐で解体したのと、同じ言語で。
もうひとつ、しばしば見落とされる細部がある。ヘンドリックスがこの曲を録音したとき、彼はディランに自分の解釈を聴いてほしいと願っていた、と複数の証言が残っている。ディランは後年、自伝『Chronicles』の中で、ヘンドリックスのカヴァーを聴いて「自分が書いたとは思えなかった。彼はこの曲に隠されていたものを引き出した」と書いている。書いた本人にも見えていなかったものを、別の音楽家が音で示してみせる——ポピュラー音楽史における稀有な共同制作の瞬間である。
Cultural context for Japanese readers
この曲が日本に届いた1968年から69年にかけて、東京のロックシーンはまだ揺籃期だった。後楽園球場で内田裕也らがGSのフェスティバルを試みていた頃である。武道館は前年のビートルズ来日でロック会場として「神聖化」されたばかりで、ヘンドリックスは結局生前に武道館の舞台を踏むことはなかった。来日公演計画が水面下で進んでいたという証言もあるが、彼の早すぎる死がそれを永遠に未遂のままにした。
70年代に入り、軽井沢万平ホテルのバーで深夜まで音楽談義に耽っていた日本のロック黎明期のミュージシャンたちにとって、『Electric Ladyland』はバイブルだった。万平ホテルはジョン・レノンが家族と滞在した場所として知られるが、その時期、客室の隅で誰かが小さな音量でヘンドリックスを流していたという話は何人もの音楽関係者が語っている。日本のロックの「ハイ・カルチャー」化が始まる、その伴奏としてこの曲があった。
桑田佳祐は若き日、湘南のラジオから流れてくるヘンドリックスのギターに衝撃を受けた世代である。サザンオールスターズの初期作品には、ヘンドリックス的な「歌詞より先にギターが語り出す」感覚が明確に流れ込んでいる。一方、矢沢永吉が率いたキャロル時代の轟音と疾走感は、ヘンドリックスではなく英国R&Bの系譜が主軸だったが、ソロ以降の矢沢が見せる「孤独な見張り塔の上の男」というステージペルソナは、奇妙にもこの曲の世界観と重なる。
70年代後半、渋谷タワーレコードの輸入盤コーナーでは『Electric Ladyland』の英国オリジナル盤(ヌード・ジャケット)が高値で取引されていた。日本盤とジャケットが違うこの盤は、洋楽ファンの「上級者」の証だった。ジャケットを買い、針を落とし、A面の終盤で必ず訪れるあの3分59秒の天候を待つ——それが80年代までの日本の洋楽体験の原型のひとつだった。
興味深いのは、この曲が日本のリスナーに与えた影響が、必ずしも「ギターヒーロー」的な文脈に閉じ込められなかったことだ。寺山修司の周辺の演劇人、村上龍の初期小説、坂本龍一が在籍した初期のYMO以前の実験——それぞれの場所で、ヘンドリックスのこの録音は「ポップソングがどこまで遠くへ行けるか」のひとつの臨界点として参照され続けてきた。
Why it resonates today
2020年代に入り、ヘンドリックスのこの録音は奇妙な仕方で再び現代と接続している。
ひとつは、AIによる音楽生成の隆盛がもたらした逆説だ。膨大なデータから「それらしい曲」を瞬時に生成できる時代に、なぜ1968年のロンドンの一夜の演奏が今も唯一無二に響くのか。答えは、この録音が「再現可能性」の対極にあるからだ。ヘンドリックスの指使い、その日のスタジオの湿度、ディランへの個人的な敬意、ヴェトナムへの言葉にならない不安、27歳という若さの全部が、二度と再現されない配合で焼き付いている。AI時代のリスナーは、皮肉なことに「人間がそこにいた」痕跡を、これまで以上に求めるようになっている。
もうひとつは、寓話的物語への回帰だ。気候変動、パンデミック、戦争——「何かが近づいている」という感覚が、再び世界の通奏低音になっている。見張り塔の上から地平線を眺める二人組の物語は、1968年と同じ重さで、いや、より重く、2020年代に響く。
近年、この曲は映画やドラマの「世界が変わる瞬間」のサウンドトラックとして繰り返し使われてきた。『フォレスト・ガンプ』のヴェトナム描写、『ウォッチメン』のオープニング、数多くの戦争映画と政治ドラマ。それは演出家たちが、観客の集合的な無意識の中にこの曲が刻み込んでいる「予感の質感」を引き出そうとしているからだ。
そして、ギターという楽器そのものの位置づけが揺らいでいる現代において、この録音は奇妙に新鮮にも聞こえる。トラップ、K-POP、ハイパーポップ——主役の座から退いたかに見えるエレクトリック・ギターが、ここでは天候として、神話として、別の世界からの便りとして鳴っている。若い世代のリスナーがこの曲に初めて触れたとき、しばしば「これはギターの曲というより、何か別のものに聞こえる」と語るのは、おそらくそのためだ。
ヘンドリックスは1970年9月18日に死んだ。彼の生涯のうち、ロックスターとして世界に認知されていた期間は四年に満たない。にもかかわらず、彼が残した数十時間の録音は、半世紀以上にわたって新しい意味を獲得し続けている。「All Along the Watchtower」は、その中心にある楽曲のひとつだ。終わらない物語の見張り塔から、彼はまだ地平線を見ている。
深く楽しむには
🎧 音に浸る
Electric Ladyland ([Jimi Hendrix Experience]) この曲が収録された1968年の二枚組大作。「Voodoo Child」「Crosstown Traffic」と並べて聴いて初めて、ヘンドリックスの音響的世界観の全貌が見えてくる。 → Search
John Wesley Harding ([Bob Dylan]) 原曲が収められたディランの1968年作。サイケデリック期から一転した禁欲的な小品集で、ヘンドリックスがなぜここに惹かれたのかを逆照射する一枚。 → Search
Live at Woodstock ([Jimi Hendrix]) 1969年8月、夜明けのウッドストックでの伝説的演奏。同じ年の彼が「All Along the Watchtower」をどうステージで化けさせたかが記録された貴重音源。 → Search
📚 物語を辿る
ジミ・ヘンドリックス 評伝 ([チャールズ・R・クロス]) 『Room Full of Mirrors』の邦訳。シアトルの幼少期からロンドンの最期までを丹念に辿った、最も信頼される評伝のひとつ。 → Search
Chronicles Vol.1 ([ボブ・ディラン]) ディラン自伝。ヘンドリックスのカヴァーを聴いた瞬間の述懐が、書いた本人の率直な驚きとして記録されている。 → Search
1968 世界が揺れた年 ([マーク・カーランスキー]) ヘンドリックスがこの曲を録音した年に世界で何が起きていたか。音楽を歴史の文脈に置き直すための必読書。 → Search
🌍 ゆかりの場所
Electric Lady Studios (ニューヨーク/グリニッジ・ヴィレッジ) ヘンドリックスが私財を投じて建設した夢のスタジオ。彼の死の直前に完成し、現在も現役で稼働している伝説の場所。 → Search
Olympic Studios (ロンドン/バーンズ) 「All Along the Watchtower」が録音された西ロンドンのスタジオ。現在はカフェ・シネマとして再生され、当時の機材の一部も展示されている。 → Search
Hendrix Memorial (シアトル/レントン) ヘンドリックスが眠るワシントン州レントンの墓地。世界中のファンが今も訪れる、巡礼地のひとつ。 → Search
🎸 自分でも体験する
Fender Stratocaster (左利き/逆張り仕様) ヘンドリックスが右利き用ストラトを逆さに張って弾いていたことは伝説。一本のギターと一台のアンプから、あの天候を引き出す試み。 → Search
Vox Wah Pedal 「All Along the Watchtower」二度目のソロのあの泣き声を生んだエフェクター。今も当時とほぼ同じ仕様で製造されている。 → Search
Univibe / Uni-Vibe 彼の音色のもうひとつの核心。揺らぎの中に物語を埋め込む、独特のモジュレーション体験。 → Search
🤖 続けて考えたい問い:
- ディラン原曲とヘンドリックス版を聴き比べて、「歌詞は同じなのに意味が変わる」とはどういう体験なのか?
- 1968年という年が音楽に刻んだ「終末感」は、2020年代の私たちの不安とどう違い、どう似ているのか?
- カヴァーがオリジナルを「超える」ことは本当にあり得るのか、それとも単に「別物になる」だけなのか?