SONGFABLE · 1990

Thunderstruck

AC/DC · 1990

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Thunderstruck - AC/DC (1990)

1990年、AC/DCはバンド史最大の危機を脱したあとで『The Razors Edge』をリリースし、その冒頭を飾る「Thunderstruck」はロックの歴史で最も中毒性の高いイントロのひとつとなった。アンガス・ヤングの指が紡ぐあの上昇音型は、単なるリフではなく、復活と通過儀礼の音響的メタファーである。本稿では、雷に打たれるという比喩が、なぜ30年以上経った今もスタジアム、CM、TikTokを横断して鳴り続けているのかを掘り下げる。

Hook

ロック史にはいくつかの「最初の数秒で曲名が分かるイントロ」が存在する。「Smoke on the Water」、「Sweet Child O' Mine」、「Stairway to Heaven」。「Thunderstruck」はそのリストに、まったく異なる質感で食い込んでくる。ギターアンプから放たれるのは和音ではなく、単音の連打だ。指弾きでもピックでもない、ハンマリングオンとプリングオフのみで構成された、ほとんど機械的とすら言える反復。そこに男たちの「Thunder」という低い合唱が乗ってくる。観客の心拍がドラムより先に上がる。

奇妙なことに、この曲には「Highway to Hell」や「Back in Black」のような時代の証言性はない。1990年にリリースされた時、AC/DCはすでに「過去のバンド」と呼ばれる危険水域にいた。グランジ前夜、ヘアメタル疲れ、産業ロックへの軽蔑。にもかかわらず「Thunderstruck」は突き抜けた。なぜなら、この曲はメッセージではなく、現象そのものを演奏しているからだ。雷に打たれるという、その瞬間を。

Background

1980年、ボーカリストのボン・スコットがロンドンの路上で凍死した時、AC/DCは終わったと誰もが思った。そこから半年後、ブライアン・ジョンソンを迎えてリリースした『Back in Black』が全世界で5000万枚を超える売上を記録するのは、ロック史のなかでも特異な再生譚である。しかし1980年代後半、バンドは再び迷走に入る。『Fly on the Wall』(1985)、『Blow Up Your Video』(1988)は、評論的にも商業的にも芳しくない。さらに深刻だったのは、ドラマーのフィル・ラッドが薬物問題で離脱し、リズム・ギターのマルコム・ヤングがアルコール依存症の治療のためツアーを欠席するという事態だった。

『The Razors Edge』は、そんな満身創痍のバンドが、プロデューサーにブルース・フェアバーンを迎えて作った復活作である。フェアバーンはボン・ジョヴィの『Slippery When Wet』、エアロスミスの『Pump』を成功させた、まさに「80年代後半の傷ついたロックバンドを再点火する男」だった。録音はカナダのバンクーバー、リトル・マウンテン・サウンド・スタジオ。マルコム不在のため、ベース、リズムギターの多くを甥のスティーヴィー・ヤングが代行した。家族の崩壊と再構築が、そのままレコーディングのドキュメンタリーになっていた。

「Thunderstruck」はアルバムのオープニング・トラックとして配置された。アンガス・ヤングが後に語ったところによれば、リフの原型はホテルの部屋で、エレキギターの弦を片手だけで叩いて遊んでいた時に偶然生まれたという。最初は冗談のような練習フレーズだった。しかしマルコムが「これは曲になる」と即座に見抜き、二人で構造化した。曲全体は単純なBコードを軸にしていながら、イントロのフィンガリングが生み出す「上昇する稲妻」のイメージが、楽曲全体の構造を決定づけている。

Real meaning (hidden story)

歌詞は表面的には、若い男が雷に打たれ、世界中を旅し、酒を飲み、ステージで「Thunder」と叫ぶ、というロックンロールの定型をなぞっている。アメリカのテキサス、ロンドンのソーホー、夜行列車、女たち。一見、80年代ヘアメタルのクリシェの寄せ集めにすら見える。しかしこの曲を、当時のバンドの状況に重ねて読むと、まったく別の地層が見えてくる。

「雷に打たれる」というモチーフは、英語圏では古くから神の啓示や運命的な出会いの比喩として使われてきた。ローマ神話のユピテル、北欧神話のトール、聖書のサウロの回心。突然降ってきて、人を別人にしてしまう力。アンガス・ヤング自身、インタビューでこの曲を「悪い夜遊びをしている男が、何かに撃たれて目覚める話」だと曖昧に語ったことがある。それは、まさにこのバンド自身の状況の寓話でもあった。マルコムは1988年のツアー中、ステージ上で自分が何の曲を演奏しているか分からなくなるほど飲んでいた。彼が治療施設に入り、家族として帰ってきたこと——これこそが、AC/DCにとっての「雷に打たれる」体験だった。

興味深いのは、この曲が「快楽の続行」を歌っているように見えて、実は「衝撃による中断」を構造的に演じていることだ。イントロの単音フレーズは、楽曲のどこにも明確に解決しない。ブライアン・ジョンソンのボーカルが入ってきた瞬間、音楽は爆発するが、最初の数十秒のあのテンションは、ロックのカタルシス構造のなかでも珍しく「待たせる」設計になっている。プロデューサーのフェアバーンは、この曲の前半をミックスで何度もやり直したという。観客を「打たれる前の数秒」に閉じ込めるために。

つまり「Thunderstruck」は、AC/DCというバンドが自分たちの危機を、雷に撃たれる男の物語に翻訳し、その物語自体を音響的に再演した曲なのである。家族の崩壊、依存症からの帰還、ロックが時代遅れとされる空気のなかでの再起。それらは歌詞には書かれていない。だがリフが鳴り、コーラスが「Thunder」と低く唱える時、リスナーは知らずにそのドラマを追体験している。

Cultural context for Japanese readers

AC/DCと日本の関係は、Queenやベイ・シティ・ローラーズのような熱狂的早期受容とは少し異なる。1981年、『Back in Black』を引っさげての初来日公演が武道館で行われた時、観客の多くはまだボン・スコットの死を引きずっていた。武道館という空間は、ビートルズの聖地化以降、ロックバンドにとって「日本で認められた」ことの象徴となっていたが、AC/DCの場合、その公演は同時に追悼でもあった。ブライアン・ジョンソンを受け入れることが、日本の聴衆にとっての試練でもあった。

その一方で、1990年代以降「Thunderstruck」が日本で広まったのは、ライブハウスや専門雑誌よりもむしろ別のルートだった。渋谷タワーレコードの輸入盤コーナーで『The Razors Edge』を手に取った大学生世代、F1中継のテーマ曲としてテレビから流れてきた金属音、そして格闘技イベントの入場曲。これらが複合的に作用して、AC/DCは「重さの記号」として日本社会に再定着した。

日本のロック史のなかでこの曲のポジションを考えるとき、桑田佳祐矢沢永吉との対比が興味深い。桑田が日本語の韻律のなかにロックの肉体性をねじ込んだ翻訳者だとすれば、矢沢は「成り上がり」という物語を、AC/DCのような労働者階級的ロックと地続きの場所で生きてみせた体現者である。矢沢が後楽園球場でロックコンサートを成立させた1978年は、奇しくもAC/DCが『Powerage』をリリースし国際的ブレイクの直前にいた年だった。両者は別々の言語で、同じことを叫んでいた——ロックは特別な才能ではなく、繰り返しと執念によって獲得される身体である、と。

別の角度から見れば、軽井沢万平ホテルのような、ジョン・レノンが家族と滞在したクラシカルな避暑地の空気と、AC/DCの音楽は完全に対極にある。万平ホテルが「文化的洗練としての洋楽」の象徴だとすれば、AC/DCは「文化的非洗練の意志的維持」の象徴である。彼らはアコースティック・バージョンも、シンフォニック・アレンジも、決してやらなかった。同じことを、もっと大きな音で、もっと速く、もっとしつこくやり続けた。この頑固さは、日本の聴衆が「職人」と呼ぶ存在像と深く共鳴する。寿司職人が一生をかけて同じ仕事を磨くように、ヤング兄弟は40年間、同じBコードを鳴らし続けた。「Thunderstruck」のあのイントロは、その職人的反復の極北にある。

Why it resonates today

「Thunderstruck」が2020年代にTikTokで爆発的にリバイバルした現象は、それ自体が文化研究の対象になりつつある。スポーツのハイライト動画、ドリフトする車のショート動画、筋力トレーニングの記録、そして最も奇妙なことに、おばあちゃんが孫の卒業式に登場するスローモーション動画。これらすべてのBGMとして、あの単音のイントロが使われている。

なぜか。第一に、この曲は「期待」の構造を完璧に持っている。何かが始まる、何かが起きる、しかしまだ起きていない、という時間の引き伸ばし。短い動画のなかで観客の注意を捉え続けるには、これ以上ない設計だ。第二に、歌詞をほとんど聞き取らせない構造になっている。「Thunder」という一語だけが脳に残る。これは言語の壁を越える。スペイン語圏でも、韓国でも、ナイジェリアでも、この曲は同じように機能する。

第三に、そしてこれが最も重要だが、「Thunderstruck」は2020年代に蔓延する「すべてが意味で覆われている」状況への、無自覚な解毒剤として働いている。SNS時代、あらゆる音楽はメッセージを持つことを期待され、あらゆるアーティストはアクティビズムを問われる。そのなかで、ただ「雷だ、すごいぞ、踊れ」としか言わない曲は、奇妙な解放感を持つ。意味からの一時避難所として。

しかし、その「意味のなさ」は表層であって、すでに見たように、楽曲の底には家族の崩壊と再生というドラマが流れている。リスナーがそれを意識する必要はない。ただ、雷に打たれる前の数秒の緊張を、繰り返し追体験する。それがロックの最も古い機能——日常を中断し、別の時間に放り込む——だとすれば、「Thunderstruck」はその機能を、もっとも純化された形で保存している標本である。30年後も、おそらく50年後も、誰かがこのイントロを鳴らした瞬間、人は何かが始まる予感に体を向ける。それは音楽が宗教的な機能を密かに引き継いだ時代の、ささやかな証拠なのかもしれない。

深く楽しむには

🎧 音に浸る

The Razors Edge ([AC/DC]) 「Thunderstruck」を含む復活作。バンドが崩壊寸前から立ち上がった証言として、全曲通しで聴く価値がある。 → Search

Back in Black ([AC/DC]) ボン・スコットの死を超えてバンドが再生した、ロック史上もっとも有名な追悼アルバム。「Thunderstruck」の精神的前史。 → Search

Live at River Plate ([AC/DC]) 2009年ブエノスアイレスでの伝説的ライブ。「Thunderstruck」を20万人が合唱する映像は、この曲の真の姿を伝える。 → Search

📚 物語を辿る

Highway to Hell: The Life and Death of Bon Scott ([Clinton Walker]) バンドの原点を作った男の評伝。ブライアン・ジョンソン時代を理解するには、まずボンを知る必要がある。 → Search

AC/DC: Maximum Rock & Roll ([Murray Engleheart]) バンド公認の決定版バイオグラフィ。ヤング兄弟のスコットランドからオーストラリアへの移民史から書き起こされている。 → Search

Let There Be Rock ([ドキュメンタリー]) 1980年パリ公演を収めた映像作品。ボン・スコット最後期の姿と、後のAC/DCの様式美の原型が見られる。 → Search

🌍 ゆかりの場所

シドニー (オーストラリア) ヤング兄弟が育った街。バーウッド地区には今もAC/DC関連スポットがあり、ロック観光の聖地化が進んでいる。 → Search

メルボルン (オーストラリア) バンドの初期キャリアを支えた街。「ACDC Lane」という名前の路地が公式に存在する。 → Search

武道館 (東京) 1981年のブライアン・ジョンソン体制初の日本公演の地。日本のロック史における「儀礼の場」としての武道館の意味を考えさせる空間。 → Search

🎸 自分でも体験する

エレキギター入門セット あのイントロを再現したくなる人のために。Bコード一つでロックは成立する、というAC/DCの教えを身体で確かめる。 → Search

AC/DCオフィシャルTシャツ ロゴが伝える「変わらなさ」の美学。職人的反復のアイコンを身につける。 → Search

密閉型ヘッドフォン このイントロは、低音と単音の分離が命。良いヘッドフォンで聴き直すと、まったく違う曲に聞こえる。 → Search


🎵 Listen on all platforms

🤖 さらに掘り下げるなら:

  1. ボン・スコット時代とブライアン・ジョンソン時代で、AC/DCの「労働者階級ロック」としての語り口はどう変わったのか?
  2. なぜ「Thunderstruck」はスポーツやTikTokなど音楽外の文脈で爆発的に消費されるのか、その音響的要因を分析できないか?
  3. 日本のロックバンドのなかで、AC/DC的な「同じことを反復し続ける美学」を体現しているのは誰か?
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90s