SONGFABLE · 1975

Kashmir

LED ZEPPELIN · 1975

Kashmir - Led Zeppelin (1975)

1975年、Led Zeppelinが放った「Kashmir」は、実際に訪れたことのない土地への憧憬を、終わりなき行進のような8分間に封じ込めた異形の名曲である。モロッコの砂漠で着想され、カシミールという名を借りた幻想の旅は、ロックがオリエンタリズムと格闘した時代の象徴であり、同時にそれを超えていく音楽的達成でもあった。日本のリスナーにとっては、後楽園球場の熱狂や軽井沢の静寂と並ぶ「異邦への憧れ」の感覚を呼び起こす一曲だ。

終わらない行進

砂塵が舞う。ストリングスが地平線から立ち上がり、ジョン・ボーナムのドラムが大地を踏み鳴らす。ジミー・ペイジのリフは、上昇するのか下降するのか判然としないまま、永遠に続くかのように螺旋を描く。1975年に発表されたダブルアルバム『Physical Graffiti』のB面1曲目に収められた「Kashmir」は、ロックの語彙では捉えきれない何かをもたらした。それは曲というより、ひとつの「気候」だった。

ロバート・プラントはのちに、この曲こそがLed Zeppelinの真髄であると語っている。「Stairway to Heaven」でも「Whole Lotta Love」でもなく、Kashmirこそがバンドの本質を体現していると。なぜか。それは、この曲が「行き先のない旅」そのものだからだ。

砂漠で生まれた幻想

1973年、プラントとペイジはモロッコ南部を旅していた。マラケシュからサハラへと向かう一本道、エイト・ベングメズという乾いた地帯を、レンタカーで延々と走り続けていた。風景は変わらず、ただ赤茶けた大地と空だけが広がっていた。プラントは後年、当時の感覚をこう振り返っている――道は曲がるのに、景色は決して変わらない。直線でしかないはずなのに、まるで蛇のようにくねっている、と。

その感覚が、ペイジが温めていた変則チューニングのリフと結びついた。DADGADという、ケルト音楽やインド音楽にも通じる開放弦の響き。ペイジはこのチューニングで、東洋的でもなく西洋的でもない、宙吊りの音階を弾き続けていた。プラントの砂漠での記憶と、ペイジの音響的実験が、ロンドンのスタジオで邂逅した時、Kashmirの骨格は完成した。

注目すべきは、この曲のタイトルが「カシミール」であるにもかかわらず、メンバーの誰一人としてカシミール地方(現在のインド・パキスタン・中国の係争地)に足を踏み入れたことがないという事実だ。歌詞が描写するのもモロッコの風景である。にもかかわらず、彼らは曲を「Kashmir」と名付けた。理由は単純で、「Morocco」では響きが平凡すぎたのだ。カシミールという音の連なりが持つ、神秘的で遠い土地の含み――それこそが彼らの求めるものだった。

オーケストラとロックの衝突

Kashmirの音響的革新は、ストリングスとブラスの導入にある。アレンジを担当したのはジョン・ポール・ジョーンズ。彼はメロトロンとオーケストレーションを駆使し、ロックバンドの編成では出せない「砂漠の蜃気楼」のような揺らぎを作り出した。

注意深く聴くと気づくのは、ドラムとストリングスが微妙にずれていることだ。ボーナムの4拍子と、ペイジのギターが奏でる3拍子のフレーズが、互いに重なり合いながらも完全には同期しない。この「ポリリズム」が、聴き手に酩酊にも似た浮遊感を与える。インド古典音楽のターラ(拍節構造)に通じる発想だが、Led Zeppelinはそれを学術的に応用したわけではない。直感で掴み取り、爆音のロックに溶かし込んだ。

レコーディングはロンドンのオリンピック・スタジオで行われた。ボーナムのドラムには特別なマイキングが施され、部屋の残響を最大限に取り込むことで、あの「巨人が歩くような」重さが生まれた。後にヒップホップのプロデューサーたちが、この時のドラムサウンドを繰り返しサンプリングすることになる――その代表例が、1998年のパフ・ダディ&ジミー・ペイジによる「Come With Me」だ。

オリエンタリズムの罠と、それを超えるもの

Kashmirを語る上で避けて通れないのが、「西洋人による東洋の幻想化」というオリエンタリズムの問題だ。エドワード・サイードが1978年に同名の著書で批判したように、西洋の芸術はしばしば「東洋」を、神秘的で官能的で不可解な「他者」として消費してきた。Kashmirもまた、その系譜に連なる作品だと見ることはできる。実在のカシミール地方の人々の生活も歴史も無視し、ただ「異国」というイメージだけを借用した曲だからだ。

しかし、この曲がオリエンタリズム的な装飾品で終わらなかったのはなぜか。理由は、Led Zeppelinが「異国」を「答え」として描かなかったからだ。多くのロックバンドが東洋に「悟り」や「精神性の解決」を求めた60年代後半――ビートルズのインド滞在やジョージ・ハリスンのシタール導入はその典型だ――に対し、Kashmirは何も解決しない。砂漠の旅人は目的地に着かない。リフは終わらない。曲はただフェードアウトしていく。

ここにあるのは「異国への到達」ではなく、「異国への永遠の途上」だ。そしてその「途上にあること」自体が、人間の根源的な状態として描かれている。プラントは砂漠で、自分が小さく、ちっぽけで、しかし同時に何か大きなものに繋がっていると感じたという。Kashmirが描くのは、観光客の視線ではなく、巡礼者の眩暈だ。

日本のリスナーにとっての「異邦」

日本のロックファンにとって、Led Zeppelinは特別な存在だった。1971年と1972年の来日公演――武道館と大阪フェスティバルホール――は伝説として語り継がれている。バンドのメンバー、特にペイジとプラントは日本文化に深い興味を示し、京都を訪れ、骨董品を買い集め、芸者と写真を撮った。彼らにとって日本もまた、Kashmirと同じく「異邦」だった。

そして、日本のリスナーにとってKashmirは、奇妙な反射鏡として機能する。西洋人が東洋に憧れる視線を、東洋の側から眺めるという、二重のねじれ。それは矢沢永吉が「成り上がり」でアメリカ的成功を夢見た構図とも、桑田佳祐が湘南という土地を神話化した手つきとも、どこかで通じている。サザンオールスターズの「いとしのエリー」が、英語の女性名を借りて湘南の情景を歌ったのと同じく、Kashmirも「カシミール」という記号を借りてモロッコを歌った。

軽井沢の万平ホテルで、ジョン・レノンとオノ・ヨーコが夏を過ごしたエピソードを思い出してもいい。レノンにとって軽井沢は、Kashmirのカシミール同様、「ここではないどこか」だった。異邦への憧れは、ロックという音楽が常に抱えてきた病であり、栄養でもある。日本のリスナーがKashmirを聴くとき、私たちは「異国を憧れる視線」そのものを聴いているのだ。

下北沢のレコード店でアナログ盤の『Physical Graffiti』を手にしたことがある人なら、あの分厚いゲートフォールド・ジャケットの重みを覚えているはずだ。ニューヨークのアパートメントの窓を切り抜いたデザイン、その窓の向こうに広がる都市の風景。Kashmirは、その窓の向こうにある「もうひとつの世界」への入り口として、A面ではなくB面の冒頭に配置された。レコードをひっくり返すという物理的行為が、異邦への入国スタンプのように機能していた。

なぜ今、Kashmirなのか

50年が経った今、Kashmirの響きはむしろ鮮度を増している。理由は二つある。

ひとつは、私たちの「移動」のあり方が根本的に変わったことだ。Zoom会議で世界中と繋がれる時代、物理的な遠さは消えた。同時に、本当の意味で「どこか遠くへ行く」感覚も希薄になった。Kashmirが描く「終わらない旅路」は、もはやノスタルジーではなく、失われた感覚への祈りに聞こえる。

もうひとつは、ジャンルを超えた音楽的影響力だ。Kashmirのリフは、現代のヒップホップ、エレクトロニカ、ポストロックにまで影を落としている。Radioheadの「Pyramid Song」の浮遊感も、坂本龍一が晩年に追求したアンビエントな東洋性も、どこかでKashmirと響き合っている。フジロックフェスティバルの深夜のグリーンステージで、霧の中から立ち上がる長尺のジャムを聴くとき、その遠い源流にはKashmirがある。

そして何より、この曲は「答えのなさ」を許容する。SNSが即座の結論を求める時代に、8分27秒のあいだ何も解決しないまま行進し続けるこの曲は、ある種の抵抗として機能する。目的地に着かないことの豊かさ。それをKashmirは50年前から知っていた。

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さらに考えてみたい3つの問い:

  1. Led Zeppelinが「カシミール」と名付けながら実際にはモロッコを描いたように、日本の音楽家が「異邦」を歌うとき、最も誠実な距離の取り方とは何だろうか?
  2. Kashmirのオリエンタリズムを批判することは可能だが、同時にこの曲が東洋的要素を超えた音楽的達成を成し遂げたのも事実だ。文化的盗用と文化的対話の境界線はどこにあるのか?
  3. 8分27秒という長さで「目的地に着かない」体験を提供したKashmirのような曲は、3分以内のショート動画文化が支配する現代において、どのような形で生き残り得るだろうか?
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