Heroes
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Heroes - David Bowie (1977)
冷戦下のベルリンで録音された「Heroes」は、壁の影で抱き合う恋人たちをわずか一日だけの「英雄」として描く、デヴィッド・ボウイ最大の逆説的アンセムである。希望の歌として誤読され続けながら、その実、引用符付きの「"Heroes"」というタイトルが告げるのは、永続しない瞬間の美しさへの皮肉と祈りだ。録音から半世紀近くを経た今も、この曲は「壊れた世界で一日だけ何者かになる」という現代的な感覚に共鳴し続けている。
Hook
1977年9月、西ベルリン。ハンザ・トンスタジオの「マイスターザール」と呼ばれる広大な部屋で、デヴィッド・ボウイはマイクの位置を変えながら同じフレーズを三度歌った。一本目は唇のすぐそば、二本目は数メートル離れて、三本目はスタジオの奥から叫ぶように。エンジニアのトニー・ヴィスコンティが設計したこの「マルチラッチング」と呼ばれるゲート技術は、ボウイが声を張り上げたときにだけ遠いマイクが開く仕組みだった。結果として生まれたのは、囁きが咆哮へと滑らかにせり上がっていく、あの非人間的なほど切迫したヴォーカル・トラックである。
ロバート・フリップのギターが、壁の向こうの何かを呼ぶサイレンのように鳴り響く。ブライアン・イーノのEMS シンセサイザーが、絶え間ない不安の通奏低音を敷く。そして歌われるのは、ベルリンの壁の影で抱き合う、ふたりの恋人。彼らが「英雄」になれるのは、たった一日だけ。
これは希望の歌ではない。希望の歌として誤読され続けてきた、絶望の歌である。あるいは、絶望のなかから掴み取られた、儚すぎる希望の歌である。タイトルが引用符で囲まれている――「"Heroes"」――という事実を、私たちはしばしば忘れている。
Background
「Heroes」を理解するには、まず1976年から77年にかけてのボウイがどこにいたかを思い出す必要がある。ロサンゼルスでコカインに溺れ、赤ピーマンと牛乳だけで生きていた「シン・ホワイト・デューク」期の彼は、自分自身を破壊する寸前だった。オカルト、ナチズムへの病的な関心、誇大妄想――伝記作家たちが繰り返し記録してきた、この狂気の時期から脱出するために、彼が選んだ場所がベルリンだった。
冷戦の最前線。壁によって分断された都市。トルコ移民街の安アパート。ボウイはイギー・ポップと同居しながら、自転車でハンザ・スタジオに通った。スタジオの窓からは、ほんの数十メートル先にベルリンの壁が見えた。監視塔の東ドイツ兵が、双眼鏡でこちらを覗いている。録音中、ある日ボウイはヴィスコンティが恋人と壁のそばで抱き合っているのを目撃したと伝えられている――この目撃が「Heroes」の核となるイメージを生んだ、というのが長年の定説だった。ボウイ自身は2003年のインタビューでこれを認めている。当時ヴィスコンティは別の女性と結婚していたため、この秘密は数十年間明かされなかった。
ベルリン三部作と呼ばれる『Low』(1977年1月)、『"Heroes"』(1977年10月)、『Lodger』(1979年)のなかで、『"Heroes"』は唯一、全曲が実際にベルリンで録音された作品である。プロデューサーのヴィスコンティ、共同制作者のイーノ、ギターのフリップ、ピアノのジョージ・マレー、ドラムのデニス・デイヴィス。この磁場のなかで生まれた表題曲は、リリース当時は商業的に大成功とは言えなかった。全英24位、全米のヒットチャートには入らなかった。
しかし、この曲は時間をかけて成長していった。1987年6月、ボウイは西ベルリン国会議事堂前で「Concert for Berlin」を行い、スピーカーの一部を壁の東側に向けて演奏した。壁の向こうから集まった東ベルリン市民の歓声と、警察との衝突。ボウイはステージ上でドイツ語と英語の両方で「壁の向こうの友人たち」に語りかけた。その2年4ヶ月後、壁は崩壊する。2016年にボウイが亡くなったとき、ドイツ外務省は公式声明で「あなたは壁を倒すのを助けてくれた。ありがとう、デヴィッド・ボウイ」と発表した。
Real meaning
「Heroes」の歌詞は、表面的には単純だ。ふたりの恋人がいる。彼らは壁のそばで抱き合う。一日だけ、彼らは英雄になれる。
しかし、ボウイがインタビューで繰り返し強調してきたのは、このタイトルに付けられた引用符の意味である。「"Heroes"」――それは英雄ではなく、「英雄」と呼ばれるもの、英雄を演じるもの、英雄であるかのように振る舞うもの、という皮肉な距離を含んでいる。1977年のメロディ・メイカー誌のインタビューで、ボウイはこう語っている。「タイトルに引用符をつけたのは、それが反英雄的な歌だからだ。これは英雄を讃える歌ではなく、英雄になることの不可能性についての歌だ」。
歌詞のなかで、語り手は恋人に向かって語りかける。私たちは何者でもないけれど、何者かになれる。たとえ一日だけでも。king と queen になれる。壁の向こうで銃が撃たれるあいだも、私たちはここで抱き合っている。恥は壁の向こう側に落ちていく。
この構造は、ロマンティック・アイロニーの完璧な実装である。歴史の暴力を背景にした個人的な親密さ。永続しないことを知りながら掴み取られる瞬間。「forever and ever」と歌いながら、それが一日だけの幻想であることを知っている話者。ドイツ語のロマン主義者たち――ノヴァーリス、ヘルダーリン、ホフマン――がベルリンの石畳に残した美学の系譜が、ここに反響している。
音楽的にも、この曲は逆説の上に成り立っている。フリップのギターは「無限ギター」と呼ばれる技法で録音され、サステインが永遠に続くように聴こえる。しかし歌われているのは「永遠ではない」ことだ。シンセサイザーが描く広大な音響空間は、壁という閉ざされた境界の歌に逆らって開かれていく。ボウイのヴォーカルは、最初の囁きから最後の絶叫まで、まるで自分自身に向かって「もっと信じろ」と命令しているように上昇していく。
この曲が「希望のアンセム」として消費されるとき――スポーツの試合で、卒業式で、選挙キャンペーンで――その引用符は剥がされてしまう。しかしボウイがベルリンの壁の前で歌ったとき、彼は引用符ごと歌っていた。「私たちは英雄になれる」という台詞の、その台詞性そのものを。
Cultural context for Japanese readers
「Heroes」が日本に届いたとき、それはまずFENとラジオの洋楽番組を通じて、そして1978年12月の武道館公演を通じて受容された。ボウイの「Stage」ツアーの一環として行われたこの来日公演は、ベルリン三部作の楽曲を中心とした構成で、当時のロック評論家たちを困惑と興奮の両方に陥れた。グラム期のキラキラしたボウイを期待していたファンの一部は、禁欲的でクラフトワークのような無機質さを湛えた新生ボウイに戸惑った。しかし渋谷陽一をはじめとする批評家たちは、これを「ロックの知性化」として高く評価した。
桑田佳祐がボウイから受けた影響は、しばしばグラム期に集中して語られるが、サザンオールスターズの初期から中期にかけてのスタジオ実験的な側面、特に『KAMAKURA』(1989年)以降の音響設計には、ベルリン三部作的なアプローチが伺える。矢沢永吉は別の角度からボウイと交差している。1970年代後半に世界進出を目指してロサンゼルスやロンドンに渡った矢沢が直面した「日本人ロッカーが英語圏で何者かになれるのか」という問いは、ベルリン時代のボウイが「英語圏のスターがドイツ語圏で何者かになれるのか」と問うた構造と相似形をなしている。後楽園球場でのスタジアム・ロックの確立という意味では、矢沢の1978年の後楽園公演とボウイの78年武道館公演は、ほぼ同時代の出来事として日本のロック観客の感覚を更新した。
「Heroes」の物理的な痕跡を日本で探すなら、いくつかの場所が候補に上がる。渋谷タワーレコードの輸入盤コーナーは、80年代から90年代にかけて『"Heroes"』のオリジナル盤、ドイツ語バージョン「Helden」を含む各国盤、リマスター盤を並べ続けてきた場所であり、日本のボウイ受容史の物質的なアーカイブとして機能してきた。2016年のボウイ追悼時には、タワレコ渋谷店の壁面全体がボウイのジャケットで埋め尽くされ、献花とメッセージが集まった。
軽井沢万平ホテルは、ボウイが1980年に滞在したと伝えられる場所のひとつである。ジョン・レノンが家族と毎夏訪れていたことで有名なこのホテルは、洋楽スターたちの「日本の隠れ家」として機能してきた。ボウイが軽井沢で過ごした時間が「Heroes」と直接結びつくわけではないが、ベルリンの壁の前で「一日だけの英雄」を歌った男が、日本の高原で匿名の旅行者として過ごしたという事実は、彼の「英雄性」への両義的な態度を象徴している。
日本語圏でこの曲がもっとも深く根を張ったのは、おそらく1989年から1990年にかけて、ベルリンの壁崩壊の映像とともに繰り返し放送されたときだった。NHKの特集番組のBGMとして、ニュースステーションの映像コラージュとして、「Heroes」は冷戦終結の音楽的アイコンとなった。しかしその引用符は、日本の文脈ではほとんど翻訳されなかった。「英雄」というカタカナと漢字のあいだで、ボウイの皮肉は半分しか伝わらなかったかもしれない。
Why it resonates today
2026年の今、「Heroes」を聴くとはどういうことか。
ベルリンの壁は崩壊して久しい。しかし世界はより多くの壁を作り続けている。テキサスとメキシコの国境。地中海の見えない境界線。SNSのアルゴリズムが引く可視化されない壁。香港と深圳のあいだの心理的な壁。「壁の向こうで銃が撃たれるあいだも、私たちは抱き合っている」という構造は、77年のベルリンよりも、むしろ現在のほうがリアリティを持っているかもしれない。
「一日だけの英雄」というアイデアは、SNS時代の名声と完璧に共鳴している。バズる15分。フォロワー1万人到達の瞬間。TikTokで突然世界に発見される無名のミュージシャン。私たちはいま、誰もが「一日だけの英雄」になれる時代に生きている。しかしボウイはすでに77年に、その構造の儚さと美しさを同時に歌っていた。引用符付きの英雄性は、現代の「セルフブランディング」という宗教の予言的な批評として機能する。
メンタルヘルスの文脈でも、この曲は新しい読みを得ている。「forever and ever」と歌いながらそれが一日だけだと知っている話者は、躁状態と抑うつのあいだを揺れる主体の、極めて正確な肖像である。ボウイ自身が異母兄テリーの統合失調症と向き合い続けたこと、自身も精神的危機を何度もくぐり抜けたことを思えば、「Heroes」の高揚は単なる希望の表明ではない。それは、明日には消えるかもしれない高揚を、今日のうちに掴みとっておこうとする、切実な臨床的ジェスチャーでもある。
そして、フリップの無限に持続するギター、イーノのアンビエントな広がり、ヴィスコンティの空間的な録音技術が作り出す音響は、現代のローファイ・ヒップホップ、アンビエント、ポストロック、シューゲイザーが当たり前のように使っている語彙の源流である。Mac DeMarco も Slowdive も Beach House も Big Thief も、知ってか知らずか、77年のハンザ・スタジオで設計された音響哲学のなかで仕事をしている。「Heroes」は、過去の傑作であると同時に、現代のサウンドの設計図でもある。
最後に、この曲が私たちに与え続けているもの。それは、永続しないことを知りながら、それでも今日この瞬間に何かを掴み取る、という倫理である。ボウイは引用符を外さなかった。「英雄になれる」と言い切ることはなかった。彼が歌ったのは、「英雄になれるかもしれない、たとえ一日だけでも」という、震えるような可能性だった。
その震えのなかにこそ、半世紀後の私たちが何度でも戻ってくる理由がある。
深く楽しむには
🎧 音に浸る
Low ([David Bowie]) ベルリン三部作の第一作。A面のポップな実験とB面のアンビエントな瞑想という構造は、「Heroes」を生んだ精神的な準備運動として聴ける。 → Search
Music for Airports ([Brian Eno]) 「Heroes」のサウンド設計者のひとり、ブライアン・イーノが1978年に発表したアンビエント宣言。ボウイのベルリン期の音響哲学が独立して結晶化した姿。 → Search
📚 物語を辿る
デヴィッド・ボウイ:スターマン伝説 ([Paul Trynka]) ボウイ伝のなかでもベルリン期の描写が特に詳細な評伝。ハンザ・スタジオの空気感、イギー・ポップとの共同生活、壁の影での日々が立体的に蘇る。 → Search
ベルリン:都市の記憶を辿る旅 ([Rory MacLean]) 冷戦下のベルリンから現代までを、文化人たちの足跡で辿る都市文化史。ボウイ、イギー、クラウス・ノミなど70年代後半のベルリンの肖像が含まれる。 → Search
🌍 ゆかりの場所
ハンザ・トンスタジオ(ベルリン) 「Heroes」が録音されたスタジオは現在も稼働しており、ガイドツアーで内部を見学できる。ボウイがマイクの前に立った「マイスターザール」は、戦前の貴族の舞踏室を改装した独特の音響空間。 → Search
渋谷タワーレコード 日本におけるボウイ受容の物質的アーカイブ。輸入盤コーナーで『"Heroes"』のさまざまなバージョンを比較しながら、リリースから半世紀の音盤文化を体感できる。 → Search
🎸 自分でも体験する
ロバート・フリップ「無限ギター」入門エフェクター 「Heroes」のあの永遠に続くギター・サウンドの正体は、フィードバックとサステインを制御するセットアップ。EBowやサステイナー付きギターで、自宅でもあの音響を再現できる。 → Search
EMS Synthi A スタイル・シンセサイザー本 イーノが「Heroes」で使ったEMSシンセサイザーの設計思想を学べる解説書。マトリックス・パッチングの哲学は、現代のモジュラー・シンセの原点である。 → Search
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- 「Heroes」のドイツ語版「Helden」とフランス語版「Héros」では、引用符の意味はどう変わるのか?
- ベルリン三部作のなかで『Low』『"Heroes"』『Lodger』はそれぞれ何を達成したのか、比較するとどう見えるか?
- 日本のロックで「Heroes」的な構造――歴史の暴力を背景にした個人的親密さ――を持つ楽曲を挙げるとしたら何か?