Voodoo Child
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Voodoo Child - Jimi Hendrix (1968)
1968年、ニューヨークのレコード・プラント・スタジオで深夜に録音されたこの15分のジャム・セッションは、エレクトリック・ギターという楽器の限界を地球外まで押し広げた。ジミ・ヘンドリックスは「ヴードゥー・チャイルド」で、ブルースの土壌からサイケデリックな宇宙までを一本のストラトキャスターでつなぎ、ロックが音楽以上の何かに変わる瞬間を刻印した。半世紀以上経った今もなお、この曲は「ギターで何が可能か」という問いに対する、最も過激な回答の一つであり続けている。
Hook
最初の数秒。ワウペダルを踏み込んだまま弦を撫でる音が、まるで遠くの嵐の予兆のように立ち上がる。それは音楽の始まりというより、天気の変化に近い。1968年5月3日、ニューヨーク市西44丁目のレコード・プラント・スタジオ。深夜のセッションで、ジミ・ヘンドリックスはまだ何も決まっていない空間に向かってギターを掻き鳴らした。隣にはベースのノエル・レディング、ドラムのミッチ・ミッチェル、そしてオルガンに座ったスティーヴ・ウィンウッドとベース担当のジャック・キャサディ(トラフィックとジェファーソン・エアプレインのメンバー)がいた。
このジャムは、後に「Voodoo Chile」(チャイル)として『Electric Ladyland』のサイドBに収録される15分の長尺ブルースになる。そしてそのわずか数日後、ヘンドリックスは別のテイク——よりタイトで、より暴力的で、よりロック的な——を録音した。それが「Voodoo Child (Slight Return)」、わずか5分強の凝縮された嵐である。本稿はこの2つの兄弟曲を、ひとつの「Voodoo Child」として扱う。なぜなら、それらは同じ夜に生まれ、同じ精神から派生し、同じ問いを抱えているからだ。
その問いとは何か。ギターは、楽器であることをやめて、もっと別の何かになれるか、という問いである。
Background
1968年は、文字通り世界が燃えていた年だった。1月にはテト攻勢、4月にはマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの暗殺、5月にはパリ五月革命、6月にはロバート・ケネディの暗殺、8月にはシカゴ民主党大会の暴動とソ連軍によるプラハ侵攻。アメリカでは公民権運動とベトナム反戦運動が交差し、若者たちはサイケデリック・ドラッグと東洋思想と政治的怒りを同時に消費していた。
ジミ・ヘンドリックスはこの渦中で『Electric Ladyland』を制作していた。『Are You Experienced』(1967)、『Axis: Bold as Love』(1967)に続く3作目にして、彼自身がプロデューサーとして全権を握った最初のアルバム。レコード・プラント・スタジオには、グルーピー、ミュージシャン、薬物、そして大量の機材が混在し、ヘンドリックスは完璧主義者として何時間もテイクを重ねた。
「Voodoo Child」のルーツはマディ・ウォーターズの「Hoochie Coochie Man」(1954年、ウィリー・ディクソン作)にある。ヘンドリックスが幼い頃から愛聴していたシカゴ・ブルースの典型的なボースティング・ソング——「俺は生まれたときから特別な存在だ」という自己神話化の歌だ。マディは黒い猫の骨やジョン・ザ・コンカラー・ルートといったフードゥーの呪具を歌詞に盛り込み、ミシシッピ・デルタの黒人民間信仰をブルースに持ち込んだ。ヘンドリックスはそれを引き継ぎ、しかし舞台を地球から宇宙へとスケールアップさせた。
楽曲構造上、「Voodoo Child (Slight Return)」はE7#9——いわゆる「ヘンドリックス・コード」——を中心に展開する。冒頭のあのワウペダルの咆哮は、Vox CryBabyのフィルターを意図的に半開きで使い、ピッキング・ハーモニクスとフィードバックを混ぜることで生み出されている。これは現代のあらゆるロック・ギタリストが研究対象にする、教科書的にして到達不可能な数小節である。
Real Meaning
表面的には、これはブルースの伝統的なボースティング・ソングだ。語り手は山々の麓に立ち、手刀で山を切り倒し、女たちにアラビアの島を作ってやろうと豪語する。彼は「ヴードゥーの子供」——超自然的な力を持つ存在として自らを宣言する。だがこの自己神話化の背後には、もっと複雑な層がある。
ひとつは、アフリカ系アメリカ人の民間信仰への回帰である。フードゥー(Hoodoo)はアフリカ系の移民信仰がアメリカ南部で変容したもので、ハイチのヴードゥー(Voodoo)とは厳密には別物だが、白人聴衆にとっては同じものとして受容されてきた。ヘンドリックスがこの言葉を選んだとき、彼は意図的にブラック・アメリカの民俗的な力——奴隷制を生き延びた呪術と霊性——を呼び出している。それは、白人ロックの世界で唯一無二の黒人ギター・ヒーローだった彼にとって、自分のルーツを再宣言する儀式でもあった。
もうひとつの層は、死の予感である。歌詞の中盤、語り手は「もし俺に二度と会えないなら、俺がもう一つの世界にいると知ってくれ」という意味のことを語る。ヘンドリックスはこの2年後、1970年9月18日にロンドンで27歳で亡くなる。後知恵で読むのは危険だが、それでも彼の周囲のミュージシャン——エリック・クラプトン、ノエル・レディング——は、この時期の彼に死の影を感じていたと証言している。ヘンドリックスは自分の終わりを音楽に書き込んでいたのかもしれない。
そして三つ目の層、おそらく最も重要な層は、ギターという楽器そのものへの祈祷である。15分のロング・テイクの方の「Voodoo Chile」では、彼はオルガンとドラムの対話の中で、まるで楽器に憑依されたかのようにフレーズを紡ぐ。ブルースのフォーマットを保ちながら、彼はそれを破壊し、再構築する。ロックンロールが誕生してまだ15年。ヘンドリックスは、この若い音楽形式が「芸術」になりうることを、3分間のポップソングではなく15分の即興で証明しようとしていた。
「Slight Return」のバージョンは、その同じ精神をAMラジオで流せるサイズに圧縮したものだ。短いから劣っているのではない。短いことそれ自体が、彼のもう一つの技巧だった。15分でやれることを5分でやる——それは編集者としての、つまり完成された芸術家としてのヘンドリックスの証明である。
Cultural Context — 日本での受容
日本におけるジミ・ヘンドリックスの受容は、独特の遅延と熱狂を伴っている。彼自身は来日することなく亡くなったため、日本のファンは彼の生のパフォーマンスを目撃することができなかった。これが逆に、日本における「ヘンドリックス神話」を純粋培養することになる。
1969年9月、ヘンドリックスは武道館でのコンサートを計画していたという説がある。実際には実現しなかったが、武道館は1966年のビートルズ来日以降、海外ロック・スターの聖地となっており、ヘンドリックスが立つはずだったステージとして、日本のロック・ファンの想像力の中に「幻の武道館公演」が刻まれている。後の世代のギタリスト——Charや布袋寅泰——は、武道館に立つたびに、ヘンドリックスがそこにいたかもしれない可能性について語ってきた。
軽井沢の万平ホテルもまた、奇妙な形でヘンドリックスと結びついている。1971年、彼の死後ではあるが、万平ホテルにジョン・レノンとオノ・ヨーコが滞在し、レノンはヘンドリックスについて何度も語ったと伝えられる。万平ホテルのラウンジ、ジョン・レノンが愛した「ロイヤル・ミルクティー」を飲みながら、来日しなかったロック・スターたちの幻影について思いを馳せる——それは日本のロック・ファンの一種の儀礼となっている。
渋谷タワーレコードの輸入盤コーナーは、1980年代から90年代にかけて、日本のヘンドリックス受容の中心地だった。『Electric Ladyland』のオリジナル英国盤——裸の女性たちのジャケットで物議を醸したバージョン——を探しに、若いギタリストたちが渋谷に集まった。エディ・ヴァン・ヘイレンが日本のクラブで「Voodoo Child」をコピーする若いギタリストを見て驚いた、というエピソードもこの時期のものだ。
桑田佳祐は、サザンオールスターズのキャリアを通してヘンドリックスへの言及を繰り返してきた。彼のソロ作品『Keisuke Kuwata』(1988)に収録された「いつか何処かで (I Feel the Echo)」のギター・ソロは、明らかに「Voodoo Child」のフレージングを下敷きにしている。桑田にとってヘンドリックスは、「日本語でロックを歌う」ことの根拠そのものだった。英語ネイティブではないアーティストが、それでも世界に通用する音楽を作れるという証拠——ヘンドリックス自身がアメリカで認められる前にロンドンで売れたという経緯——は、日本のロック黎明期のミュージシャンたちに勇気を与えた。
矢沢永吉もまた、自伝『成りあがり』(1978)でヘンドリックスへの傾倒を語っている。横須賀のキャロル時代、矢沢は黒人ブルースの直系としてのヘンドリックスではなく、「孤独な天才」としてのヘンドリックスに自己を投影した。矢沢の「I LOVE YOU, OK」のエンディングで聴かれるフィードバック・ノイズは、ヘンドリックスのモンタレー・ポップ・フェスティバルでのギター焼却儀式へのオマージュとして読まれてきた。
日本のヘンドリックス受容のもう一つの特徴は、ギター・マガジン的な「研究対象」としての側面である。1980年代以降、リットーミュージックの『ギター・マガジン』は、毎号のようにヘンドリックスのフレーズ分析、機材考証、奏法解説を掲載してきた。Vox V846ワウペダル、Fender StratocasterのCBS期、Marshall Plexi 100W——これらの機材名は、日本のギタリストにとって一種の聖典的固有名詞となっている。「Voodoo Child」の冒頭4小節を完全に再現することは、日本のアマチュア・ギタリストの通過儀礼であり続けている。
Why It Resonates Today
2026年、ストリーミング・サービスが音楽消費の主流となり、TikTokで15秒に編集された楽曲が日々量産される時代に、なぜ15分のジャム・セッションと5分のロック・トラックが依然として聴かれ続けているのか。
ひとつの答えは、AIによる音楽生成が現実化したことで、逆に「人間が即興で生み出す音」の価値が再評価されているという事実である。「Voodoo Child」の15分テイクは、4人のミュージシャンがリアルタイムで対話し、ミスや偶然や瞬間の判断を含めて成立している。それは、計算によって最適化された音楽の対極にある。Spotifyのアルゴリズムがあなたに最適化された楽曲を推薦する時代において、ヘンドリックスのこの楽曲は「最適化されていない音楽」の象徴として、若い世代に再発見されている。
もうひとつは、ギター・ロックそのものへの郷愁である。2020年代に入り、ヒップホップとエレクトロニックが音楽産業の中心になった後で、ギター・ロックは「滅びゆく芸術形式」となった。だからこそ、その頂点としての「Voodoo Child」は、博物館に収められた名画のように、新たな価値を帯びる。ロサンゼルスのインディー・シーン、東京の下北沢、上海の livehouse 五百号で、若いミュージシャンたちがこの曲を演奏するとき、彼らは消えゆく言語を話している誇りと哀しみを同時に演じている。
そして最後に、「ヴードゥー」という概念そのものが、テクノロジー時代の人間に対して持つ意味がある。ブラックボックス化したAI、理解不可能なアルゴリズム、説明されない判断——現代人は再び「呪術的な世界」に住んでいる。ヘンドリックスが半世紀前に呼び出したフードゥーの霊性は、今日のテクノ・アニミズムの先駆けとして読み直すことができる。ギターを通して何か「他者」が語る——それは、AIがプロンプトを通して何かを語ることの、ロマンチックな原型だったのかもしれない。
桑田佳祐がかつて語ったように、「ヘンドリックスを聴くということは、人間が楽器を超えて何かになる瞬間を聴くこと」である。その瞬間は、2026年の今も、ストリーミング・サービスの再生ボタンを押すたびに、繰り返し起こり続けている。
深く楽しむには
🎧 音に浸る
Electric Ladyland ([Jimi Hendrix Experience]) 「Voodoo Child」が収録された1968年のオリジナルアルバム。15分の「Voodoo Chile」と5分の「Slight Return」の両方を含み、ヘンドリックスのプロデューサーとしての完成形を聴ける。 → Search
Texas Flood ([Stevie Ray Vaughan]) ヘンドリックスの直系の継承者、スティーヴィー・レイ・ヴォーンの1983年デビュー作。「Voodoo Child (Slight Return)」のカバーが収録されており、テキサス・ブルースの文脈でこの曲がどう読み直されたかが分かる。 → Search
📚 物語を辿る
Room Full of Mirrors: A Biography of Jimi Hendrix ([Charles R. Cross]) ヘンドリックス研究の決定版伝記。シアトルの幼少期からロンドンでの開花、レコード・プラント・スタジオでの『Electric Ladyland』制作の内幕までを克明に描く。 → Search
ジミ・ヘンドリックス自伝 ([Jimi Hendrix / 中川五郎訳]) ヘンドリックス本人のインタビュー、書簡、詩を編纂したドキュメント。日本語で読める一次資料として貴重。 → Search
🌍 ゆかりの場所
Electric Lady Studios (ニューヨーク、グリニッジ・ヴィレッジ) ヘンドリックス自身が設計に関わり、『Electric Ladyland』の名を冠して1970年8月にオープンしたスタジオ。彼の死のわずか1ヶ月前のことだった。現在も稼働しており、聖地巡礼が可能。 → Search
日本武道館 (東京、千代田区) ヘンドリックスが立つ予定だったとされる伝説の会場。来日が叶わなかったロック・スターたちの幻影を背負う日本ロックの聖地。 → Search
🎸 自分でも体験する
Vox V846-HW Hand-Wired Wah Pedal 「Voodoo Child」冒頭のあのワウサウンドを再現するための、現代版手配線ワウペダル。オリジナルの1960年代仕様に近い回路設計。 → Search
Fender Jimi Hendrix Stratocaster ヘンドリックスが愛用した左利き用ストラトを右利きでひっくり返して弾いたセットアップを、右利き仕様で再現したモデル。彼の独特のトーンの秘密が手元で体感できる。 → Search
🤖 Follow-up questions:
- なぜヘンドリックスは同じ夜に「Voodoo Chile」と「Voodoo Child (Slight Return)」という2つのバージョンを録音したのか?
- 日本のギタリスト(Char、布袋寅泰、横山健ら)はヘンドリックスからどのような影響を受け、どう独自化したのか?
- 「ヴードゥー」「フードゥー」というアフリカ系民間信仰は、ブルースとロックの歴史にどのように刻印されてきたのか?