SONGFABLE · 1965

Yesterday

THE BEATLES · 1965

一行で言うと: 恋人が去ってしまった理由がわからず、昨日に戻りたいと願う男の、たった2分間の独白。Paul McCartneyが夢の中で完成形のメロディを聴いて目を覚まし、ピアノに駆け寄って書き留めた、ポップス史上もっともカバーされた曲。

この曲は、夢の中から降ってきた曲である

世界でもっともカバーされたポップソング——ギネス記録によれば2,200以上のバージョンが存在する——その原曲が、寝起きのPaul McCartneyの頭の中から生まれたという話を、どこまで本気で受け取っていいのだろう。

1965年初頭、ロンドンのWimpole Street。Paulは当時、恋人Jane Asherの実家の屋根裏部屋に下宿していた。ある朝、彼は完璧なメロディが頭の中で鳴っている状態で目を覚ます。あまりに自然で、あまりに「すでに存在している曲」のように聴こえたので、Paulは**「これは絶対に誰かの曲だ。自分が無意識に盗んだに違いない」**と疑い、しばらくの間、周りのミュージシャンや音楽出版業界の知人に「この曲、聴き覚えない?」と確かめて回ったという。

誰も知らなかった。それは本当に、Paul自身が夢の中で受信した曲だった。

だが、歌詞はまだ存在しなかった

メロディはあっても言葉が出てこない。Paulはこの仮メロディに、**「Scrambled Eggs(スクランブルエッグ)」**という適当な仮タイトルをつけ、朝食メニューをそのまま歌詞として乗せて、何ヶ月もスタジオで歌っていた。「スクランブルエッグ、ああ僕の可愛い人、君の脚はスクランブルエッグみたいだ」——そんなふざけた仮歌のまま、メンバーやスタッフから「もういい加減ちゃんとした歌詞をつけろ」とからかわれていた。

転機は1965年5月、ポルトガル・アルブフェイラへの休暇旅行。長いドライブの最中、Paulの頭の中で「Yesterday」「suddenly」「believe」「far away」といった長めの母音で韻を踏む単語が浮かんでくる。そして、ロンドンに戻ってからわずか数週間で、いまの完成形の歌詞が書き上がった。

何を歌っているのか——「理由のわからない別れ」の歌

歌詞の語り手は、たった昨日まですべてが順調だった、と振り返る。問題なんて何ひとつなかった、自分の悩みは遠い昔のことのように思えた、と。ところが今日、彼は影に怯える人間になっている。

サビでは、恋人がなぜ去ったのか自分にはわからない、と打ち明ける。彼女は何も言わずに去り、自分は何か間違ったことを言ってしまったのかもしれないが、それが何だったのかさえ思い出せない、と。だからこそ「昨日」に戻りたい——あの、まだ何も壊れていなかった時間に。

この曲が異様なのは、怒りも恨みも、彼女への呼びかけすらもないところだ。Paulはただ、過去形で、ひとりごとのように、「昨日はよかった」と呟いているだけ。激情のラブソングが溢れていた60年代ポップスの中で、これは極めて静かで、極めて私的な敗北の歌だった。

なぜPaulだけがレコーディングしたのか

『Help!』(1965) のアルバムに収録されたこの曲は、The Beatlesの曲でありながら、John LennonもGeorge HarrisonもRingo Starrも参加していないという、バンド史上ほぼ唯一の異例の楽曲である。Paulがアコースティック・ギターと歌だけで一気に録音し、プロデューサーのGeorge Martinが弦楽四重奏(バイオリン2本、ビオラ、チェロ)のアレンジをかぶせた。演奏時間2分04秒。それだけだ。

John Lennonはのちに、Yesterdayを「Paulの曲、完全にPaulの曲」と呼び、自分は一切タッチしていないことを認めている。一方で、こうも漏らしている——「この曲が嫌いだ、と言いたいわけじゃない。むしろ嫉妬している。なぜ自分がこれを書けなかったのか、と」。

1965年という年——The Beatlesの折り返し点

1965年は、The Beatlesにとって決定的な転換点だった。前年までの「アイドル・バンド」から、**「真剣な作曲家集団」**への脱皮が始まる年。同じ年、彼らは8月15日にNYのShea Stadiumで5万6千人を集めるロック史上初の大規模スタジアム公演を行い、夏にはアルバム『Help!』、年末には『Rubber Soul』をリリースし、ポップスの語彙そのものを書き換え始める。

Yesterdayはその過渡期の中心にあった。バンドのワイワイした熱気とは完全に切り離された、Paul一人の内省。だからこそこの曲は、彼らが「アイドル」から「アーティスト」に変わった瞬間を象徴する一曲として、いまも語られる。

日本のリスナーにとっての文脈

The Beatlesと日本の関係は、Yesterdayと切り離せない。1966年6月、彼らは武道館で5公演を行う。武道館は本来、戦没者を悼む武の聖地として建てられた施設で、「外国のロックバンドに使わせるのか」と右翼団体から猛烈な抗議が起き、警備員8,000人が動員される異例の事態となった。Yesterdayは、そのときのセットリストに入っていた。日本武道館の天井の高い静寂のなかで、Paulがアコースティック・ギター1本でこの曲を歌った——それは日本のロックの夜明けそのものだった。

この公演の影響を受けたミュージシャンは数え切れない。桑田佳祐は中学生のとき武道館に行こうとして親に止められたエピソードを語っているし、矢沢永吉は広島の少年時代に深夜ラジオでThe Beatlesを聴いてバンドを志した。後のB'z 松本孝弘ミスチル 桜井和寿スピッツ 草野マサムネ——みんなどこかでYesterdayをコピーしている。日本のJ-POPの「マイナーキーで内省的なバラード」という強力な伝統は、その源流のかなりの部分をこの曲に負っている。

カラオケで歌われ続けている事実も外せない。JOYSOUNDやDAMの洋楽カラオケランキングでYesterdayは常に上位に入る。コードがG(実音F)の比較的歌いやすいキーで、テンポも遅く、英語が苦手な日本人でも歌詞を追いやすい。60年後も新宿や渋谷のカラオケボックスで、誰かが涙ぐみながらこの曲を歌っている——それがYesterdayと日本の関係だ。

なぜ今もこの曲が聴かれるのか

統計の話をすると、YesterdayはBMI(米国の音楽著作権団体)の集計で20世紀にラジオで最も多くオンエアされた曲のひとつで、放送回数は700万回を超える。Frank Sinatra、Ray Charles、Elvis Presley、Marvin Gaye、Boyz II Men、En Vogue——あらゆるジャンル、あらゆる時代の歌手がカバーしている。

なぜか。理由は単純だ。「昨日に戻りたい」と思ったことのない人間はいないから。

恋人と別れた人、亡くした人、就職に失敗した人、家族と喧嘩した人、戦争で故郷を失った人、大切なものを壊してしまった人——みんな、ある瞬間にこの曲の語り手と同じ場所に立つ。だから60年経ってもこの曲は古びない。「昨日」という日本語の重み、それを2分04秒で完全に表現してしまった作品が、他に存在しないのだ。

2019年公開の映画『Yesterday』(Danny Boyle監督)は、「The Beatlesが存在しなかった世界で、ひとりだけ彼らの曲を覚えている男」という設定の物語だった。タイトルがYesterdayであることの皮肉と祝福——この曲だけが「もしビートルズがいなかったら」を問う資格を持っていた、という監督の判断は、たぶん正しい。


この曲をもっと深く楽しむには

Yesterdayの世界——1965年のロンドン、夢から目覚めたPaul、武道館の静寂——その全部を、もう少しだけ味わい尽くす方法を集めました。

🎧 音に浸る

アルバム『Help!』(The Beatles) Yesterdayが収録されたオリジナル・アルバム。同タイトル曲やTicket to Rideも入った、Beatlesがポップから一歩踏み出した瞬間の記録。 → Amazonで探す

ベスト盤『1』(The Beatles) 全英・全米1位を獲得した27曲を収めた決定盤コンピレーション。Beatles入門の最初の1枚として定番。 → Amazonで探す

📚 物語を辿る

書籍『Paul McCartney: The Lyrics』(Paul McCartney) Paul本人が154曲の歌詞について自ら語った決定版。Yesterdayの章では、夢の話、Scrambled Eggs時代、Jane Asherとの関係について、当事者の言葉で詳述されている。 → Amazonで探す

書籍『Many Years from Now』(Barry Miles) Paul公認の伝記。1960年代のロンドンの空気、Wimpole Streetの屋根裏部屋、John Lennonとの関係性が、Paulの肉声で語られる必読書。 → Amazonで探す

ドキュメンタリー『The Beatles: Get Back』(Peter Jackson) Peter Jackson監督による8時間の決定版ドキュメンタリー。Yesterdayの時代より少し後だが、Paulの作曲過程、4人の関係性、バンドの内側を肌で感じられる。 → Amazonで探す

🌍 ゆかりの場所を訪ねる

Wimpole Street 57番地(ロンドン) PaulがYesterdayを夢で受信した、Jane Asher実家の屋根裏部屋があった建物。現在はブルー・プラークが掲げられ、ロンドンのビートルズ巡礼コースの定番ポイント。徒歩圏内にAbbey Road Studioへ向かう地下鉄駅もある。 → ロンドン Beatles ガイド本

Albufeira(アルブフェイラ、ポルトガル) Paulが1965年5月に滞在し、長いドライブの間に「Yesterday」という言葉と歌詞の骨格を思いついた、ポルトガル南部のリゾート地。海が美しい港町で、いまも観光客に人気。 → ポルトガル 旅行ガイド

日本武道館(東京・千代田区) 1966年6月30日〜7月2日、The Beatlesが5公演を行った歴史的会場。Yesterdayはセットリストに含まれていた。外国アーティストの武道館公演はこのときが初。以後、武道館は「日本のロックの聖地」になり、Cheap Trick、Eric Clapton、Bob Dylanら無数のアーティストがここでライブ盤を録音した。九段下駅から徒歩5分、北の丸公園の中。 → 日本武道館 ガイドブックBeatles 1966 来日記念本

🎸 自分でも体験する

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