SONGFABLE · 1992

Plush

STONE TEMPLE PILOTS · 1992 · SAN DIEGO, USA

Plush - Stone Temple Pilots (1992)

1992年、シアトルの陰鬱なフランネルが世界を覆い尽くしたその年に、南カリフォルニアの陽光のなかから現れた4人組がいた。Stone Temple Pilotsの「Plush」は、グランジの文法を借りながら、まったく別の場所——失踪事件の新聞記事と、ある男のささやかな苦悩——を歌った曲だ。模倣と呼ばれ、軽蔑され、それでも30年以上鳴り続けている理由を解きほぐしてみたい。

ベルベットの皮をかぶった狼

「Plush」のイントロが鳴り始める瞬間、空気の密度が変わる。ロバート・デリーオの少しダウンチューニングされたベースが、デイン・デリーオのドラムの空隙を縫って這い出してくる。ディーン・デリーオのギターは、Led Zeppelinのジョン・ポール・ジョーンズが書きそうなコード進行を、Black Sabbathの重力で押し下げる。そしてスコット・ウェイランドの声——あの、喉の奥でわざと響かせる、バリトンとファルセットの中間にある独特の振動——が乗ったとき、リスナーは「あれ、これは何だっけ?」と一瞬迷う。

Nirvanaか、Pearl Jamか、Alice in Chainsか。1992年当時のアメリカの音楽メディアは、Stone Temple Pilots(以下STP)を「シアトル勢の劣化コピー」と切り捨てた。Rolling Stone誌の年末読者投票では「Best New Band」と「Worst New Band」の両方で1位を獲得するという、奇妙な栄誉を背負う羽目になる。だが、皮肉なことに、その「模倣」だと罵られた『Core』というアルバムは、米国だけで800万枚を売り上げた。

サンディエゴという例外地帯

STPはシアトル出身ではない。サンディエゴ——メキシコ国境に近い、海軍基地と退役軍人と陽光のサーフタウンだ。スコット・ウェイランドとロバート・デリーオが出会ったのは、1980年代後半、ブラック・フラッグのコンサート会場だったと伝えられている。二人は意気投合し、お互いに同じ彼女と付き合っていたことが判明する、というB級映画のような幕開けを経て、Mighty Joe YoungというバンドをスタートさせるWeb的な経緯がある。後にディーンとエリックを加え、STPと改名する。

ここで重要なのは、地理だ。シアトルのグランジが「曇天と工場跡地と20歳の倦怠」のサウンドトラックだとすれば、サンディエゴのSTPは「日焼けと処方箋薬と中流家庭の崩壊」を背景にしていた。スコット・ウェイランドの家庭はカリフォルニアの典型的なアッパーミドルクラスで、彼自身は教会の聖歌隊出身。Kurt Cobainがアバディーンの製材所の町で育ったのとは、出自の階層が違う。

この「違い」が、当時はうまく聞き取られなかった。1992年のアメリカは、グランジというラベルを発見して興奮しすぎていて、それに似た音はすべて同じ箱に放り込まれた。STPがその箱から出るには、2枚目の『Purple』(1994)を待たねばならない。

「Plush」の本当の意味——新聞のなかの少女

ウェイランドが後年いくつかのインタビューで語ったところによれば、「Plush」の歌詞のきっかけは、サンディエゴの地元紙に載っていた失踪事件の記事だった。若い女性が行方不明になり、後に遺体で発見されたという、悲しいが、当時のアメリカではありふれた事件のひとつ。彼はその記事を読みながら、「もし犬がその死体を見つけたら、犬は何を考えるだろう」というイメージから書き始めた、という証言が残っている。

つまりこの曲は、ラブソングのフリをした、ある種の犯罪小説の断片なのだ。直接的に描写されているわけではない。ウェイランドの作詞は、トム・ウェイツやレナード・コーエンに通じる「曖昧さを武器にする」流派で、聞き手に明確な物語を与えることを拒む。だからこそ、当時のティーンエイジャーたちは、この曲を別れの歌として、片想いの歌として、自己嫌悪の歌として、それぞれに引き受けることができた。

タイトルの「Plush」は、文字通りには「ベルベットのような」「ふかふかの」という意味の形容詞だ。だがウェイランドはこれを名詞のように使い、何か——おそらく沈み込んでいく感覚、安楽さに偽装された絶望——を指し示している。Eaglesの「Hotel California」が「ピンクシャンパンとミラーボール」で1970年代の喪失を描いたなら、「Plush」は「ベルベットの棺桶」で1990年代の中流階級の不安を描いた、と読むこともできる。

そして、忘れてはならないのは、ウェイランド自身がやがてヘロイン中毒との長い戦いに入り、2015年、47歳でツアーバスのなかで亡くなることだ。「Plush」のヴォーカルにはすでに、その後の彼の人生を予感させる、ぞっとするような甘さが宿っている。

日本のリスナーへ——90年代洋楽喫茶の記憶

日本における「Plush」の受容は、独特の経路をたどった。1993年、『Core』が日本盤でリリースされた頃、渋谷のタワーレコード5階の洋楽ロックフロアには、「グランジ/オルタナティブ」というコーナーが作られたばかりだった。Nirvanaの『Nevermind』とPearl Jamの『Ten』に並んで、STPの黒いジャケットが平積みされていた光景を覚えている人もいるだろう。

雑誌『rockin'on』や『CROSSBEAT』は、当時のSTPに対してアメリカ本国ほど辛辣ではなかった。むしろ、ウェイランドのヴィジュアル——細身のスーツに長い前髪、ジム・モリソンを思わせるステージング——を高く評価していた。日本のロックファンは、グランジを「思想」としてよりも「美学」として受け取る傾向があり、STPの少し演劇的な、ある意味でグラムロック寄りの佇まいは、Nirvanaのリアリズムよりも馴染みやすかったかもしれない。

下北沢のライブハウスやリハーサルスタジオでは、1990年代半ば、STPのコピーバンドが少なからず存在した。GLAYの初期や、SIAM SHADEのギターワーク、後にはNumber GirlやEastern Youthまで、日本のオルタナティブシーンがSTPから受け取ったものは、思っているより多い。特にディーン・デリーオのリフ構築——ペンタトニックを避け、宙ぶらりんの和音を多用する——は、向井秀徳の和声感覚に通じるところがある。

STP自身は1995年に来日し、日本武道館でのライブを行っている(実際には中野サンプラザや川崎クラブチッタなど複数会場でのツアー)。当時の観客の証言によれば、ウェイランドはステージ上で日本語の単語をいくつか口にし、観客との間に独特の親密さを作り出したという。彼が後年、軽井沢万平ホテルのような場所で静養することを夢見ていた——というのは伝聞の域を出ないが、彼が日本の禅や静謐な空間に強い関心を持っていたことは、ソロアルバム『12 Bar Blues』(1998)のジャケットや歌詞の端々から窺える。

なぜ今、「Plush」なのか

2020年代に「Plush」を聴き直すと、奇妙なことに気づく。この曲は、当時よりも今のほうが、はるかに「現代的」に響くのだ。

理由の一つは、テンポだ。BPM約70、6/8拍子に近いゆったりとしたグルーヴは、TikTok時代のスナック的な楽曲消費の対極にある。聴き手に「腰を据えること」を要求する。Spotifyのプレイリスト「90s Alternative」を流していて、「Plush」が来ると、なぜか食器を洗う手が止まる、という現象を体験した人は少なくないだろう。

もう一つは、ウェイランドの声の「未完成さ」だ。ピッチは時々揺れる。明らかにテイク2かテイク3で済ませている箇所もある。ProToolsで全てを補正することが当たり前になった今、この生々しさは贅沢に聞こえる。Billie Eilishが「ベッドルームポップ」と呼ばれる、囁き声の脆さを武器にした方法論を発明したと言われるが、ウェイランドはすでに1992年、スタジアム規模のロックバンドのなかで、それに似た親密さを試みていた。

そして最後に、この曲が描く「中流の崩壊」というテーマは、2020年代の日本社会にとって、もはや他人事ではない。失踪事件の女性、それを発見する犬、ベルベットに包まれた絶望——これらは、もしかすると新自由主義以降の世界のどこにでも転がっている風景だ。Stone Temple Pilotsは、自分たちでも気づかないうちに、ある時代の終わりと、別の時代の始まりを、4分のロックソングのなかに圧縮していた。

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