SONGFABLE · 1995

Common People

PULP · 1995 · SHEFFIELD, UK

Common People - Pulp (1995)

サッチャー以後の英国で、階級は本当に消えたのか。ジャーヴィス・コッカーがロンドン芸術大学のカフェテリアで出会ったギリシャ人留学生の言葉から生まれたこの曲は、「労働者階級ごっこ」をする富裕層への怒りを、踊れるシンセポップに変えた。Britpop全盛期の中で、最も知的で、最も刺さる一撃だった。

カフェテリアで放たれた一言

1988年、ロンドンのセント・マーティンズ・スクール・オブ・アート(現セントラル・セント・マーティンズ)。彫刻科の学生だったジャーヴィス・コッカーは、26歳。シェフィールド出身、痩せた長身、分厚い眼鏡、古着のコーデュロイ。当時のロンドンのアートスクールでは完全に異物だった。

そこで彼はギリシャから来た裕福な留学生の女性と出会う。彼女は彫刻を学んでいて、コッカーに向かって「私、普通の人たちに混じって暮らしてみたい」と言ったという。後にコッカーは何度もこのエピソードを語っているが、その瞬間、彼の中で何かが固まった。それは怒りでも、皮肉でもなく、もっと冷たい認識だった――この人は、自分の人生を観光地として消費している、と。

7年後の1995年5月、シングル「Common People」はUKチャート2位に到達する。1位を阻んだのはロビン・S「Show Me Love」のリバイバル。だがその年の夏、グラストンベリー・フェスティバルでザ・ストーン・ローゼズが急遽キャンセルとなり、代役で土曜のヘッドライナーに抜擢されたPulpがこの曲を演奏した瞬間、英国の音楽史に楔が打ち込まれた。観客10万人が、階級についての歌に拳を突き上げて合唱したのである。

シェフィールドという土壌

コッカーがこの曲を書くまでに費やした時間を理解するには、彼の出自を見ておく必要がある。

シェフィールドはイングランド中部の鉄鋼の街だ。19世紀から20世紀前半にかけて世界最大のステンレス生産地として栄えたが、1980年代のサッチャー政権下で製造業が壊滅。失業率は急上昇し、街全体が長い不況に沈んでいた。映画『フル・モンティ』(1997年)の舞台になったあの街である。

コッカーは1963年、シェフィールドの労働者階級の家庭に生まれた。父はオーストラリアに移住して家族を捨て、母は祖父母と暮らしながら息子を育てた。15歳でPulpを結成。バンドは10年以上売れず、コッカーは生活保護を受けながら活動を続けた。1985年にはアパートの窓から落ちて骨折し、車椅子生活を経験している。

彼が「普通の人たち」と言うとき、その言葉には具体的な手触りがある。冷たい食パン、シングルマザーの疲れ、職業安定所の長い列、雨に濡れたバス停。それは観光地ではない。そこから抜け出すために、コッカーは美術学校の奨学金を取った。そして抜け出した先で、自分が抜け出してきた場所を「体験したい」と語る人々に出会った。

「労働者階級ごっこ」への怒り

曲の構造はシンプルだ。語り手は、上流階級の女性に「あなたの本当の世界を見せてほしい」と頼まれる。彼は彼女をスーパーマーケットに連れて行き、安いラガービールを飲ませ、ダンスを踊らせる。だが彼は知っている――彼女がこの「体験」に飽きたら、いつでもパパに電話して家に帰れることを。

ここでコッカーが指弾しているのは、ブルジョワジーの「貧困観光(poverty tourism)」だ。1990年代前半、英国の若いアッパーミドルクラスの間で、労働者階級の文化を「クール」として消費するトレンドがあった。BlurのDamon Albarnも「Parklife」で似たテーマを扱ったが、彼自身がコルチェスター出身のミドルクラスだったため、後に批判を受ける。コッカー自身、Blurについて「彼らは演じている、自分は生きている」という主旨の発言を残している。

曲の核心は、踊れること、貧しいこと、ありふれていることを「面白い」と感じる感性そのものへの拒絶だ。階級は服装でも音楽の趣味でもない。退路の有無である。失業しても親の別荘がある人と、失業したら寝る場所がなくなる人は、同じ人間ではない。

しかも曲はそれを陰鬱に語らない。プロデューサーのクリス・トーマス(ロキシー・ミュージック、セックス・ピストルズ)の手腕で、シンセサイザーのリフは祝祭的に上昇し、ドラムは煽り、合唱パートは観客を巻き込む。怒りはダンスフロアの形をしている。これがPulpの天才性だった。

1995年という特異点

「Common People」がリリースされた1995年は、Britpop元年だ。Oasis「Some Might Say」とBlur「Country House」がチャート1位を競い、メディアは「Battle of Britpop」と煽り立てた。労働党のトニー・ブレアが「Cool Britannia」を国家ブランドに掲げ、若いブレアはOasisのノエル・ギャラガーを首相官邸に招くことになる(1997年)。

その熱狂のど真ん中で、Pulpの曲だけが冷たく光っていた。Oasisがマンチェスターのワーキングクラスをロックンロールにしたとすれば、Pulpはワーキングクラスの内側から「お前らが憧れているのは、おれたちの貧しさじゃない、おれたちの貧しさのコスプレだ」と冷笑した。

このアルバム『Different Class』(1995年10月発売)のタイトル自体が二重の意味を持つ。「素晴らしい(different class=桁違い)」と「異なる階級」。マーキュリー賞を受賞し、英国アルバムチャート1位、200万枚を売った。

興味深いのは、コッカー本人がこの曲を「自分のキャリアの呪い」と呼んだことだ。あまりに大きすぎて、何を作ってもこれと比較される。1998年のアルバム『This Is Hardcore』では、彼は意図的に陰鬱なポルノ的世界に沈み込み、商業的成功を遠ざけた。

日本の読者にとっての地形

この曲の感覚を日本で翻訳するのは、実は難しい。日本社会は「一億総中流」の建前を長く維持してきたため、英国的な階級の感覚――話す訛りで出身階級が一発でバレる、大学のカレッジ名で職業の天井が決まる――が肌感として薄い。

だが、別の角度から考えるとよく見える。たとえば、軽井沢万平ホテルにバカンスに行く家庭と、夏休みは祖父母の家に帰省する家庭の違い。あるいは、渋谷タワーレコードでUKインディーを掘る大学生の中に、「実家は土地持ちだから就活はそこそこでいい」と言える人と、「奨学金を背負って卒業する」人が混在する事実。日本でも、退路の有無による階級は確実に存在する。ただ可視化されにくいだけだ。

下北沢のライブハウスに集まる若いバンドマンたちの中に、東京の私大に親の仕送りで通う者と、地方から出てきてアルバイトで食いつなぐ者がいる。前者は失敗してもいつでも帰れる。後者は帰れない。同じステージに立っていても、二人の音楽は本質的に違う重力で鳴っている。「Common People」が突きつけているのは、その重力の違いを「文化的なテイスト」で覆い隠せないという冷酷な事実だ。

2000年代の日本で「ロハス」「丁寧な暮らし」「DIY」「古民家リノベ」といったトレンドが消費された構造も、これと無関係ではない。資本があるからこそ「シンプルさ」を選べる人々と、シンプルにしか暮らせない人々の間にある断絶を、コッカーは1995年に言語化していた。

なぜ今、再び響くのか

2020年代、英国ではブレグジット後の景気低迷と生活費危機(cost of living crisis)が進行している。インフレで光熱費が払えない家庭が増え、フードバンクの利用者は過去最高を更新した。一方で、SNS上では「コテージコア」「クリーンガール」など、生活の特定の側面を美学的に消費するスタイルが流行する。

「Common People」が突きつけた問いは、30年前より鋭く現代に刺さる。インスタグラムで日本の田舎暮らしを発信するインフルエンサーの背後に、退路としての都市の不動産がある場合とない場合では、同じ「丁寧な暮らし」が全く別の意味を持つ。

2023年、コッカーはPulpを再結成し、グラストンベリーでこの曲を再び歌った。観客の中には1995年に生まれていなかった世代が大勢いた。彼らはこの曲を、自分たちの時代の歌として歌った。階級は消えなかった。表現の仕方が変わっただけだ。

そしてこの曲は、踊れる怒りという発明の最高傑作として、今も残り続ける。怒りを諦めの形に変えるのではなく、ダンスフロアの形に変える――それは政治的でもあり、芸術的でもあり、何より、生き延びるための技法だった。

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